07
2017

『ゴジラvsモスラ』

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。

前作『ゴジラvsキングギドラ』は、いわゆるオタク志向だった『vsビオランテ』から親子で楽しめるファミリー映画化に向けて大きく舵を切ることで親子連れを取り込み好成績をあげました。
しかしその出口調査では男性観客に比べて女性観客の割合が圧倒的に少ないことが分かり、逆に女性客を呼び込むことが出来れば更なる集客に繋がるはずだという結論に行き着きます。
そのマーケティング・リサーチを受けて、今作ではゲスト怪獣として女性にも人気が高いと思われる怪獣:モスラを登場させることになりました。

ゴジラvsモスラ
1992 ゴジラvsモスラ
<あらすじ>
巨大隕石の落下によりゴジラが目覚め、インファント島では地中から巨大な卵が出現した。
トレジャーハンター藤戸拓也は、元妻の手塚雅子、島の所有権を持つ丸友観光の社員・安藤健二とインファント島の調査に向かう。
そこで出会ったコスモスと名乗る小美人は、バトラの復活による危機を警告するが、時すでに遅くバトラが名古屋に現れ街を破壊していく。
一方、巨大卵の輸送船は航行中にゴジラの襲撃を受け、卵からはモスラの幼虫が孵化して応戦する。
そこにバトラも現れ、ゴジラと共に海底火山のマグマの中に消えていった。
一方、モスラは安藤にさらわれたコスモスを追って東京に上陸、国会議事堂に繭を作り成虫へと変化を遂げた。
時を同じくして噴火した富士山の河口から出現したゴジラ。
そして成虫となったバトラ。
横浜みなとみらいで三つ巴の戦いが始まる。

【興行収入は最高なれど・・・】
vsモスラ モスラ孵化 vsモスラ 三つ巴の戦い
ストーリーは旧『モスラ対ゴジラ』をベースにしながらも、女性客獲得に向けて「家族」や「親子」に焦点を当てたものになっています。
また、映像面でも前作までとはうって変わって、派手で色彩感に溢れたきらびやかな怪獣映画でした。

結果を先に述べると、『ゴジラvsモスラ』は22億円を超える興行収入を達成しこの年の邦画トップに立ちました。
綿密なマーケティング・リサーチと、そこから得た情報を基に宣伝活動を積み上げていった広報チームの勝利だと思います。

ゴジラ作品が邦画トップの成績を収めた事自体は純粋にゴジラファン・特撮映画ファンとして喜ばしいことではありましたが、同時に内心複雑で寂しい気持ちもあったのは事実です。
なぜならば、制作者たちの目くばせの先にいたのは、昭和の時代からゴジラ映画を愛してやまなかった我々オールド・ファンではなく、新規客層として開拓したいと狙っていた女性客たちだということが画面に如実に表れていたからです。

そして内容にも不満や違和感が多く目につく作品でもあります。
なにしろ、この映画は『レイダース 失われた聖櫃<アーク>』の超劣化パクリから幕を開けるのですから!。

vsモスラ 主人公はトレジャーハンター
前作『ゴジラvsキングギドラ』にも『ターミネーター2』を思わせるシーンがあったり『ダーティーハリー』の決め台詞が出てきたりしてはいましたが、それらは全て中盤の演出の一部として盛り込まれていたものでした。
しかし、この映画では『レイダース』のオープニング・シークエンスをそっくりそのまま冒頭でパクっているのです。
この臆面もない演出に、当時の私は映画開始早々から本当に脱力したものでした。

vsモスラ ネコ科なゴジラ
また、前作で「ゴジラの誕生に間接的ながらも人間の意図が加わっている」表現があったことで、平成VSシリーズにおけるゴジラの神秘性が大きく損なわれたことも気持ちが離れた原因の一つです。


【モスラとバトラ、そしてコスモス。ついでにゴジラ】
有名な話ですが、このストーリーは元々ゴジラ映画として企画されたものではなく、『モスラ対バガン』というモスラの平成リブート作品となる予定のものでした。
それが『ゴジラvsキングギドラ』の好成績を受けて少しでも早くゴジラの次回作を作りたいという要望から、一部の登場怪獣を急遽ゴジラに置き換えて作られたのが『ゴジラvsモスラ』です。
昭和作品でいえば、元来キングコング主役の話だったものを諸事情によりゴジラに差し替えて作った『ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘』(1966年)のようなものでしょうか。

vsモスラ ゴジラ対モスラ(幼虫)
本来は地球環境の守護怪獣であるモスラとバトラで成立している物語に、無理矢理ゴジラを割り込ませているためにストーリーラインに歪みが生じています。
モスラは地球生命の守護者であり、バトラは地球環境に害を為す存在に対して徹底的に戦おうとする好戦的なモスラの一種です。
しかし、その敵となる地球環境を破壊せんとする怪獣(バガン)がゴジラに置き換えたためにお話が分かりにくくなってしまいました。
確かにゴジラは核の申し子ですから、その体内に蓄積している核物質や放射線を地球環境の敵としてバトラが認識したというのなら筋が通ります。
しかし本作で問題視されているのはあくまでも人間による環境破壊であって、ゴジラも核もストーリー上では全く関係ないのです。
本作におけるゴジラは完全にお邪魔虫でしかありません。

vsモスラ 解説
また、ゴジラの割り込みは必然的に怪獣バトルの増量に繋がり、その分人間ドラマや設定を描写する時間が削られてしまったように思われます。
終盤の約30分間は人間サイドの物語展開は全く無くなってしまい、延々と続くゴジラ・モスラ・バトラの戦いをただ見守るだけになっていました。
「あっ」とか「頑張れ!」といった単調で表面的なリアクションがインサートされる他は、「バトラがモスラを助けた!」「怪獣同士で何かを相談している?」などと画面で表現されている事象をセリフで説明しているだけという状態です。
どんなに特撮シーンが優れていたとしても、人間のストーリーがそこに絡まない限り映画ではなくアトラクション映像でしかありません。
30分近くもそれを見せ続けられてしまうと、退屈を通り越してもはや苦痛です。

今作あたりから川北紘一特技監督の暴走が始まり、特撮シーンのカット数が増えて長尺化するようになります。
そのしわ寄せが本編部分を圧迫し、特撮映画としてのバランスが崩れていくことになるのです。

vsモスラ 空港にて
ラストシーンにもその弊害が現れています。
モスラが地球に迫る巨大隕石を止めるために死出の旅に出るという重要な設定が語られますが、そこに至るまでに伏線が全く描かれていないために唐突感が半端ありません。
しかも、そんな大事な設定の開示を台詞による説明だけで済ませてしまうというのは演出としていかがなものでしょうか。
それもまた特撮シーンの増加による影響なのかも知れませんが、これからモスラとコスモスが特攻に出るというのにあまりにもあっさりしすぎていて後味が悪い感じすらあります。


【登場人物】
vsモスラ ハムの人
父親(演:別所哲也)は、インディ・ジョーンズのように世界を飛び回りながら裏では闇商売にも手を出している、スネに傷持つトレジャー・ハンターです。
いささかリアリティに欠ける設定に思えるものの、小学生くらいの男の子は真面目以外に取り柄が無い朴念仁よりも友達に自慢出来るようなアクティブな父親像に憧れるもので、そういった子供の願望を具体化したキャラクターだと思えば納得です。
『ゴジラvsモスラ』は、少年のように自由奔放に生きてきたこの父親がモスラやコスモスを通じて妻子と正面から接することで、父親・家長として自覚し成長する物語にもなっています。
「人は大人になっていく。いつまでも卵の中にはいられない。」という元妻のセリフは、モスラではなく彼のことを指して言っているのです。

vsモスラ 母と娘
母親はしっかり者でユーモアセンスに富み、別れた旦那に対しても上の立場に立ってやり込めてしまうような魅力的な女性として描かれています。
子供を連れて観に来た女性客(母親)が共感し感情移入しやすいように描かれたキャラクターです。
演じた小林聡美さんは、かつて『転校生』(1982年)で当時まだ高校生でありながら大胆におっぱいをさらけ出しての熱演を見せてくれて当時の私を激しくときめかせてくれた女優さんであります。

余談ですが・・・。
vsモスラ 転校生
小林聡美さんと『ゴジラVSシリーズ』の大森一樹監督(本作は脚本のみの参加)には『転校生』にまつわる因果関係がありました。
『転校生』は中学生男女の心と身体が入れ替わるという内容ですが、それを曲解したスポンサーのある大手企業がクランク・イン直前に出資を中止してしまい制作頓挫の危機に陥ったのです。
当時企画中の映画で大林監督と関わりがあった大森一樹監督はその事実を知り、日本アート・シアター・ギルド(ATG)に『転校生』の制作続行が出来るよう口利きしてくれたのだそうです。
名作『転校生』はこうして無事完成し、主演女優の小林聡美も今では知性と演技力を兼ね備えた才媛として安定した存在感を持ち続けています。

vsモスラ 子役
そして、怪獣映画としては非常に珍しい(ゴジラ映画では唯一の)キャスティングとして、女の子が子役の主人公になっています。
登場時には常に母親と行動を共にしていており、コスモスとも親しく接するなどモスラ側のストーリーに深く関わります。
演じた米澤史織さんについては、私が知る範囲では『学校の怪談3』に出ていたはずなのですが、同作では前田亜希ちゃんの可愛さが強印象すぎてあまり記憶に残っていません(失礼!)。

vsモスラ 宝田明
旧作以来の出演者としては、『モスラ対ゴジラ』主演トリオのお一人である宝田明さんの出演が嬉しいところです。
前作の土屋嘉男さんもそうでしたが、こうしてシリーズにお馴染みの俳優が出演してくれると安心出来ますね。
それは例えば『スター・ウォーズ』のスピン・オフ作品にダース・ベイダーが出るというだけで「ああ、俺は今『スター・ウォーズ』の新作を観ているんだッ」と腹の底から実感出来るのと同じような感覚を覚えます。

vsモスラ キャップとハヤタ vsモスラ スーちゃんと東光太郎
また前作に引き続き出演の小林昭二(ムラマツキャップ)さんをはじめ、黒部進(ハヤタ)さん、篠田三郎(東光太郎)さんと、ウルトラシリーズの俳優さんたちも顔を見せてくれています。
さらに篠田さんの奥さん役は、お亡くなりになってしまった元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さん。
『ゴジラvsビオランテ』の時ほど重要な役ではありませんが、往年のファンだった者としては画面に映る姿を見ているだけで切なくなってしまいます。
こうした顔ぶれを見ていると、この映画もまだまだ我々男性オールド・ファンを大事にしてくれているのだな・・・と思いにふけってしまいますね。

【映画と双子と小美人】
vsモスラ 新小美人:コスモス vsモスラ 新小美人:コスモス♪マハラ~
配役で残念でならないのは、今回の小美人(コスモス)役が双子ではなくなってしまったことです。
この今村恵子さんと大沢さやかさんは東宝シンデレラガールのグランプリと審査員特別賞の受賞者であり、そのいかにもな顔見世興行には東宝の「大人の事情」が垣間見えて観る前から気持ちが醒めてしまったものでした。
衣装もまるで二人組のアイドル歌手みたいで、地球生命を守護する云々と言われても困ってしまいます。
でも、大沢さやかさんは全然嫌いじゃなくて、むしろ好みのタイプだったりします(照)。

G04 小美人
初代小美人のザ・ピーナッツは本物の双子歌手であり、セリフも歌もぴったり綺麗なハーモニーになっていてそれが二人の容姿とも相まってまるで異世界の生命体のような雰囲気を作り出していました。
今回、そうした天然の人材による神秘性が失われた気がしてとても残念です。

以下、一卵性双生児の方々には大変失礼なことを述べていますがお赦しください。

双子って常に非日常的な驚きを感じませんか?。
私は街中でソックリな顔で同じ背格好、さらにはお揃いの服を着たペアを見ると思わず「あの二人、双子?」と振り返って好奇の目を向けてしまいます。
しかも、特別練習したわけでもないのに行動や言動がぴったりシンクロする姿には、どこかこの世界の人ではないような気すらしてしまいます。

映画やドラマなど映像作品における双子の扱いは見た目の奇異さを強調した非日常的なものがほとんどです。
あるいは日常のドラマに双子が登場することで、ストーリーも映像も途端に不思議な空間に変化することもあります。

シャイニングの双子
特にそうした印象が強いのは、この『シャイニング』の幽霊姉妹。
私が双子に対して抱く非日常感はこの映画の影響によるものかも知れません。

ハリーポッター、ウィーズリー
『ハリーポッター』シリーズに登場したロンの兄、フレッドとジョージです。
兄弟が多いウィーズリー家ですが、その中にあって彼ら双子の姿はやはり目を引く存在でした。
映画の中でも次第に活躍の機会が増えていきましたが、最終作『死の秘宝』ではフレッドが犠牲になってしまいました。

vsモスラ 八つ墓村の双子老婆
邦画だと『八つ墓村』の田治見の老婆が思い当たります。
こちらは1996年の市川崑監督版で合成による一人二役ですが、ただでさえアレな岸田今日子が二人も・・・。

vsモスラ ディズニーの双子
『不思議の国のアリス』や『アリス・イン・ワンダーランド』のトゥイードルダムとトゥイードルディー。
下手糞な絵で恐縮ですが、一応ディズニーキャラクターですから気を使ってみました(笑)。

双子 タンスにゴン
りんとあん
また、「タンスにゴン」や「ライオンメソッドクリーム」のCMに出ていた双子タレントたちも思わず二度見してしまうほどのインパクトがありました。

双子には、常人とは違って見える不思議な魅力と少しばかりの異世界感があるように思います。
ザ・ピーナツは当時売れっ子のスターでしたから歌唱シーンのある映画への出演自体は珍しいことではありませんでしたが、ある種の妖精である非現実的なキャラクターとして彼女たちを配役した当時の制作者のセンスは見事だったと思います。


【エキストラのこと】
今回はネガティブな話題が多かったので、最後は楽しい話で締めたいと思います。

vsモスラ 名古屋城門
『ゴジラvsモスラ』に登場する「逃げる群衆」のほとんどは一般応募によって集まったボランティア・エキストラの皆さんです。
「そんなの当たり前だろ」と思うかも知れませんが、実は怪獣映画等のエキストラ出演者を一つのイベントとして大量に募集するという手法はこの作品から始まったといわれています。
その甲斐あって、本作からは逃げる群衆の数がこれまでと比較にならないくらい増えているのが分かります。

G1991 逃げるエキストラ_傍観者
こちらは前作『ゴジラvsキングギドラ』の一場面ですが、よく見ると限られた範囲だけをズームアップした状態で撮っています。
手前こそ大勢の避難民がいるように見えますが実は画面の奥はスカスカで、怪訝そうにこちらを見ながら自転車で横切るオバちゃんや壁にもたれて撮影風景を見物している男性がいるのが分かります。

vsモスラ エキストラ名古屋 vsモスラ エキストラ横浜
そしてこちらの二枚が『ゴジラvsモスラ』です。
名古屋のシーンでは、画角で誤魔化すことなく広角の映像の中に大勢のエキストラを堂々と映し込んでいます。
また横浜のシーンでは、動く歩道の奥のほうまでぎっしり人が詰まっているのが分かります。

昭和の時代には東宝の専属俳優たちが大勢いたためモブシーンに困ることはありませんでしたが、1970年代に入って専属制度が無くなってからは画面を埋める群衆役がいなくなり、まるで過疎地のような痩せた映像しか撮れなくなってしまいました。
これが「日本映画は映像がショボい」と言われた所以の一つですが、この手法が確立されてからは見応えあるモブシーンも作れるようになり邦画が活気を取り戻す要因になったと思っております。

「ボランティア・エキストラ」というくらいでギャラはおろか交通費すら出ませんが、我々も面白い映画作りに貢献できるというのならこんなに嬉しく楽しいことはありません。
今の私が映画のエキストラ出演を趣味としていられるのも、この『ゴジラvsモスラ』がその先鞭を付けてくれたおかげなのです。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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Tag:ゴジラ モスラ

2 Comments

しろくろshow  

ツインズ話に大納得でした

こんばんは。

前作の「VSギドラ」は私も伊福部先生の復活だけでほぼ満足してしまったクチなのですが、この「モスラ」はトガジンさんも書いておられるように冒頭から延々と続くドラマの陳腐さ加減と、モスラ幼虫がどう贔屓目に見ても滑車に乗っているとしか思えない動きしか見せてくれず、そのあまりの生物感の無さに(__;)劇場で落胆したことをよく憶えています。特撮もドラマもあんまり魅力のなかったこのゴジラ映画がどうしてあれほどの興収を稼げたのか、未だによくわかりません。

それからツインズねた(?)についてですが、これは大いに賛同したいと思います。特に「シャイニング」のあの二人は最凶でしたね(^_^;)

2017/06/08 (Thu) 20:16 | EDIT | REPLY |   

トガジン  

良かった~、そう思ってたのは自分だけじゃなかったんだ・・・(笑)

しろくろshowさん、コメントありがとうございます。

私も、モスラの幼虫がまるで機関車みたいに突進していく姿には心底ガッカリさせられたものでした。
成虫モスラの羽ばたきも、羽根の「しなり」が少なくて優雅さに欠けています。
川北特技監督はメカや光線の描写は得意でしたが、生き物としての怪獣もメカと同じ質感で描いてしまっていたようで、それは主役であるゴジラの表現についても例外ではなかったように思います。

以後のゴジラレビューにも今回のようなネガティブ評が出てしまうことが多々あると思いますが、同じ感触を持つ方がいると分かって心強いです(笑)。
出来るだけ言葉は選びつつ、本音を語っていきたいと思っております。

今後ともお付き合いいただければ幸いです。

2017/06/09 (Fri) 00:50 | EDIT | REPLY |   

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