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2017

一周年!

CATEGORYご挨拶
トガジンです。

トガジンです 大

おかげさまで本ブログ『映像学科22番』も、本日めでたく開設から丸一周年を迎えることが出来ました。
一年前、渾身の力を振り絞って書き上げた当ブログ最初の記事を、緊張に震える手で初投稿したあの夜のことがまるで昨日のことのようです。
学生時代の自炊・日記・ダイエット等々、これまでありとあらゆる物事が10日と続かなかった万事三日坊主のこの私が、一つの事を一年も持続出来たことは冗談抜きで驚愕に値することでありました。

これまでご来訪下さった全ての皆様に心より御礼申し上げます。
そして、これからもご愛顧くださいますようよろしくお願いいたします。


・・・さて。
実は現在、一周年を機にブログの改装を計画中であります。
とはいえ、内容や方向性を変えるつもりは全くありません。
基本は今まで通り、50代おっさんの趣味丸出し映画鑑賞記です。
ブログの外観、つまりテンプレートの変更も今のところは考えておりません。
今年に入ってから使い続けている現在のテンプレート(「Belong」作:vanillaice (Akira)さん)が非常に気に入っています。

改装は、主に閲覧のしやすさや使い勝手の向上を図ることが目的です。


【ブログ改装計画その1:有料プランへの移行】
実はこの一年間、FC2ブログのいわゆる無料プランを利用しておりました。
「これまで何事も三日坊主だった自分」を誰よりも私自身が知っていましたから、有料プランのメリットは理解していたものの「とりあえず一年間は様子見」と考えて無料プランのまま書き続けていたのです。

有料プランのメリットはいくつかありますが、自分にとっての効能をまとめてみると・・・。
「全デバイスの広告を非表示」
これ、結構大きいです。
自分で自分の記事を見るときにも鬱陶しく感じることが多々ありました。
必要なもの以外は非表示にしてしまいたいと思っております。

「画像容量をアップ」
登録画像のサイズが、これまで2MBまでだったのが5MBの画像ファイルもアップ可能になるようです。
普段はそんな大きなファイルを載せることは無いのですが、以前、旅行先からiPhoneを使って記事をアップしようとした時に「画像サイズが大きすぎる」ということで撥ねられてしまい写真を載せられなかった事がありました。
私がiPhoneで記事を書くとやたらミスが多いため個人的に必要性は薄いですが、あればあったでいざという時便利だろうなとは思います。

「保存容量が無制限に」
個人的にはこれが一番大きいメリットです。
己が文才の乏しさを嘆きつつそれでも自分の想いを表現しようと色々足搔いてみた結果、自分のスタイルとして写真やイラストを多用する方向性に落ち着きました。
それはつまり、連日画像の保存容量を大量消費しているということでもあります。
そのため10GBという無料プランの制限がいつ来るかと内心ヒヤヒヤしておりました(笑)。
年間3,300円の有料プラン化でこの心配ともオサラバです。

「独自ドメインの利用」 「記事投稿数を1日100件にアップ」 「FTPを使用可能」
これら3つについては有効性がよく分かっていません。
そもそも「独自ドメイン」とか「FTP」とは何のことやら・・・?。

あと、これは有料プラン化を薦めてくれた友人に聞いた話ですが、無料プランの場合ブログ運営会社の一方的な都合でブログ自体が消されてしまうことがあるそうです。
もしそうなると、これまで書いた記事は全て水泡に帰してしまうことになります。
有料プランなら運営会社に責任が生じるため、よほどのことが無い限り消されることは無いはずだしサポートもしてくれるだろうとのことでした。


【ブログ改装計画その2:カテゴリ分けをもっと『映像学科』らしく】
カテゴリーについては、現在のところ「洋画」「邦画」「アニメ」といったジャンル別とシリーズ作品ごとにフォルダ分けする程度の単純な分け方しかしていません。
また「必ず泣いてしまう映画」などこれから増やしていく予定で思い付きで作ったカテゴリもあって、実際のところ此処から目当ての作品を探し出すにはまるで用を成していない気がします。
また、ブログタイトルを『映像学科22番』と銘打っていることもあり、全体のイメージ統一の意味もこめて「学校」とか「授業」「部活」等をモチーフにした本ブログらしいカテゴリ名を思案中であります。


【ブログ改装計画その3:作品別索引】
成り行きとはいえ、随分と過去記事を探しにくいスタイルになってしまったものだと反省している今日この頃であります。

例えば、私がとある続編ものの映画の記事を書いていたとします。
「あれ?、これの前作の記事っていつ頃書いたんだっけ?。」とか「この文章と前に書いた記事URLとをリンクさせたいのだが・・・どれだっけ?」と、目的の記事を探すのに目茶苦茶時間がかかってしまうことが多々ありました。
特に一週間分のショート・レビューをまとめ書きしている『週刊映画鑑賞記』に含まれるものなどは自分でも探し出すのに四苦八苦しております(笑)。
書いた本人でさえこの調子なのですから、ご来訪いただいた皆様に対してこれが親切な仕様であるはずはありません。

そこで、過去に扱った映画作品をタイトル50音順に集めた索引ページを現在作成中であります。
最近の記事で例えるならこんな感じです。

『サラマンダー』
■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/15)

ゴジラシリーズ:22『ゴジラvsデストロイア』
■『週刊映画鑑賞記』(2017/9/17) ■本記(2017/10/13) ■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/15)

『PUSH 光と闇の能力者』
■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/8)

ガメラシリーズ:9『ガメラ 大怪獣空中決戦』
■『週刊映画鑑賞記』(2017/9/24) ■本記(2017/10/3) ■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/8)

『ねむり姫』
■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/1)

ガメラシリーズ:8『宇宙怪獣ガメラ』
■本記(2017/9/28) ■『週刊映画鑑賞記』(2017/10/1)

これにより過去記事が検索し易くなるはずだと思います。
「このトガジンって奴は『●●●(作品名)』についてどう思っているんだろう?」というチャレンジャーさんや、「トガジンさんの書く記事は全部読んでみたい」などと仰る奇特な方にも、過去に遡って読んでいただくことが簡単になると思います。
そして私の執筆スピードも、これまでより(ほんの少し)早まるかも知れません。

非常に手間のかかる作業であるため年内の実装は難しいかも知れませんが、ヒマを見つけて少しづつ進行中であります。
もちろんこのリンク作業中には、記事中の細かな誤字脱字を発見次第、密かにちまちまと修正していることも言うまでもありません(笑)。


なんだか企画書みたいな記事になってしまいましたが(笑)、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。
15
2017

週刊映画鑑賞記(2017.10/9~2017.10/15)

トガジンです。

毎週日曜日にこの一週間に観た映像作品についてまとめて書き連ねているこの『週刊映画鑑賞記』も今回で52回目(4クール)を迎えました。
52週ということは、つまり丸一年経過したということになります。
これまで日記もダイエットも全て「三日坊主」に終わっていた私が、一年間毎週一度も欠かさず書き続けてきたことはある意味脅威的であります(笑)。
改めましてご高覧いただきありがとうございました。
そして、今後ともよろしくお願い申し上げます。


10/9(月)
サラマンダー』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)
サラマンダー
つい先日『ガメラ 大怪獣空中決戦』を見返したばかりの私の目には、この映画に登場する人を喰うだけでなく共喰いまでする竜がギャオスに見えて仕方がありませんでした(笑)。
もしもガメラがいなかったら、あの作品世界も数年後にはこんな風になっていたのかも知れません。
そんなことを思いながら最後まで観ておりました。

本作に登場する竜のほとんどはメスであり、一匹しかいない巨大なオスを倒せば繁殖が止まって竜を退治出来るというお話です。
『ジュラシック・パーク』や『ガメラ 大怪獣空中決戦』を見た私には「え?雌雄同体ちゃうの?」と戸惑いましたが、違和感を覚えた点はそこくらいでした。
予算の関係かあまり派手なSFXは無かったように思いますが、砦に籠って生活せざるを得ない住民同士の不協和音や竜退治にやってきたアメリカ海兵隊との軋轢など人間ドラマ部分が充実していて全く飽きさせません。

出演者も実に豪華です。
クリスチャン・ベール(『ダークナイト』)
マシュー・マコノヒー(『インターステラー』)
イザベラ・スコルプコ(『007ゴールデン・アイのボンドガール』)
ジェラルド・バトラー(『エンド・オブ・ホワイトハウス』)
・・・と、主役級の俳優を揃えていて演技にも手抜きがありません。

最高に気に入ったシーンは、繁殖し続ける竜に追われて砦に隠れてひっそり生き延びている人間社会における子供たちの娯楽です。
夜はロウソクの明かりで生活しているくらいですから、彼らの生活にはテレビも映画もラジオすらありません。
そんな子供たちの就寝前に、C・ベールとJ・バトラーが(かつて彼らが夢中になって観たであろう)『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』を演じて見せているのです!。
「ス~・カ~・ス~・カ~」と呼吸器の擬音を交えながら「違う、私がお前の父だ!。」とあの有名なセリフを聞かされたときの子供たちのリアクションが微笑ましすぎてたまりません。
この子供たちの描写があってこそ、竜の襲撃からこの子たちを守ろうとして命を落とすJ・バトラーにも、それを受けて竜退治に赴く決意をするC・ベールにも無理なく感情移入することが出来たのだと思います。


10/12(木)
『ゴジラvsデストロイア』
(ホームシアター:WOWOW録画
1995 ゴジラvsデストロイア
13日の金曜日にアップした本作のレビューを仕上げるべく、カット内容やセリフを確認しつつ見返しました。
私にとって、おそらくこれが最後の『ゴジラvsデストロイア』鑑賞になるでしょう。
残り少ない我が人生において、この愚作をもう一度観ることは貴重な時間の無駄使いに他なりません。

あの『ガメラ 大怪獣空中決戦』後にクランクインした作品でありながら、とても老舗とは思えない気の抜けた特撮映像が多すぎること。
初代『ゴジラ』へのリスペクトを装いながら、中身はそれまでのVSシリーズから一歩も脱却していなかったこと。
そして何より、一作目の生き語りともいえる山根恵美子(演:河内桃子)を登壇させておきながら、その貴重なキャラクターを無駄に消費し『ゴジラ』第一作を平成の世において咀嚼する機会を永久に失わせたこと。

そもそも、期待した私も馬鹿だったと思います。
ここまで無理矢理引っ張って手垢にまみれて続けてきたVSシリーズの流れを受けて、あの名作『ゴジラ』第一作のリスペクトなど出来るはずもありませんでした。

13日のレビューに書いた内容は、長年口にすることを憚ってきた私の本音です。
「ゴジラの死」を描いたこの作品には思い入れの強いファンも多く、そうした方たちに対して遠慮し続けていたのです。
今回思い切って想いをぶつけることが出来て、およそ22年越しの胸のつかえが取れました。



今週は、火曜日(10日)の衆議院選挙公示を皮切りに一気に忙しくなったため2本しか映画を観れていません。
来週の平日は比較的ヒマですが、日曜日は投開票日ということで仕事が深夜2時~3時に及ぶことは必至です。
次の『週刊映画鑑賞記』は早め(出勤前)にアップすることになるかも知れません。

お付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ゴジラvsデストロイア サラマンダー

13
2017

『ゴジラvsデストロイア』

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。

最初にお断わりしておきます。
ゴジラvsデストロイア』は、当年とって53歳のトガジンにとりまして(2つのハリウッド作品も含めた)ゴジラシリーズ全31作品中のワースト1です
これまで、出来る限り「良いところ」を探しながら書いてきた「ゴジラ全作品レビュー」ですが、今回ばかりはその「良いところ」を見出すのが非常に困難でありました。

もちろん、この作品を心底好きだと仰る方の想いにまで唾を吐くつもりはありません。
「この『ゴジラvsデストロイア』が生まれて初めて観た映画で人生で一番愛着がある作品だ」
「ゴジラの最期に涙した」

このように仰る方々が大勢いることも重々承知しております。

私とて、自身の劇場初体験作品である『ゴジラ対へドラ』のことを初代『ゴジラ』や黄金期の作品を知る先輩ゴジラファンからボロクソに罵られて悔しい思いをした経験があります。
(「昔自分が観た最初のゴジラはそりゃもう凄かった!」と自慢げに言われても困ってしまいますよね)
しかし、低年齢層向けとして作られながらも奮闘して見せた作品や、最初から単純明快な娯楽作品と割り切って作られたものと、この『ゴジラvsデストロイア』とでは問題の次元が違います。

ゴジラvsデストロイア』制作陣が犯した取り返しのつかない愚行は、第一作から受け継がれた貴重な遺産を単なる客寄せの道具として無駄に消費してしまったことです。
そして、「ゴジラ死す」とか「今世紀最大の謎が今解き明かされる」などと大上段に構えておきながら、ゴジラ完結編として描くべきことを何一つ描き切ろうとしていなかったことです。
46年来のゴジラファンとして、そして『ゴジラ』第一作の志の高さに感銘を受けた者として、最高の御膳立てを得ていながらその全てを無駄にしたこの『ゴジラvsデストロイア』に対してだけはどうしても文句を言わずにいられないのであります。


ゴジラvsデストロイア
ゴジラvsデストロイア 生頼版ポスター

<あらすじ>
体内で炉心溶融を起こし赤く発光するゴジラが出現した。
Gサミットではゴジラの核爆発やメルトダウンの危険があることが判明したことから攻撃することすら出来ずにいた。
一方、東京湾岸に謎の生物が出現して人間たちを襲い始めた。
酸素研究の第一人者である伊集院博士は、この生物がかつて初代ゴジラを葬った芹沢博士の超兵器オキシジェン・デストロイヤーの影響で生み出されたことを突き止める。
Gサミットは、ゴジラJrを囮に利用してゴジラとデストロイアを戦わせ両者共倒れを画策するが、ゴジラメルトダウンのリミットは刻一刻と迫っていた。

【高まる期待】
私が『ゴジラvsデストロイア』を劇場で観たのは、何を隠そう公開初日(1995年12月9日)でありました。
この作品の宣伝ではとにかく詳しい情報が伏せられていたため、「ゴジラの最期はいかなるものか?」「オキシジェン・デストロイヤーが物語にどう絡んでくるのか?」などが全く分からなかったのです。
ネタバレされるのを避けるには初日に観に行くに限ります。
1995年12月9日の時点で、私のこの作品に対する期待値はそれほどまでに高かったのです。

1995 ゴジラvsデストロイア
「ゴジラ死す!」のキャッチコピーに、体内から真っ赤に燃えている凄惨な姿と化したゴジラのインパクト!。
また、「デストロイア」という名前からは初代『ゴジラ』のオキシジェン・デストロイヤーが想起され、第一作へのオマージュと40年越しに何らかの解答が描かれるのではないかと胸が高鳴りました。
ハリウッド版を前に東宝が・・・いや日本の特撮映画界が本気を見せてくれるものと思っていました。

期待する理由はもう一つありました。
前作『ゴジラvsスペースゴジラ』公開の3か月後に公開され、私を歓喜させてくれた『ガメラ 大怪獣空中決戦』の存在です。

ガメラLD
最初に観た時からすっかり夢中になり計4回も映画館に通ったうえ、秋に発売されたLDも購入してそれこそ猿のように何度も何度も繰り返し観た作品です。
後に『ゴジラxメガギラス』など3本のゴジラ作品を手掛けることになる手塚昌明監督は、この『ガメラ 大怪獣空中決戦』を観た感想を「椅子から立ち上がれないくらい悔しかった。」と述懐していらっしゃいます。
川北紘一特技監督も「視点の統一ということを徹底してやっていて、本篇のストーリーも面白くうまくマッチしていた。」と賛辞を送っておられました。

東宝のゴジラ関係者が『ガメラ 大怪獣空中決戦』に一目置いていたことは確かです。
その『ガメラ』の後を受けて作られる、怪獣映画の本家東宝の平成『ゴジラ』完結編がつまらない代物であるはずはありません。
そんなことは絶対にあり得ません。

000875 ファーストカット 001553 バース島消滅
映画は昭和29年の『ゴジラ』第一作を意識したかのような海面ショットから始まります。
バース島の消滅により、前作までの諸設定をリセットさせるところから始めようとしている様子で、この点も第一作『ゴジラ』を踏まえた物語として腰を据えて描いていこうする意気込みを感じました。
私としては、どうせなら過去4作品全部を「無かったこと」にして『ゴジラvsビオランテ』から続くストーリーにしてくれても良かったくらいです。

003331 パイロット「あいやあ!」
途中、コケそうになった部分はありました(笑)。
中国語はからきしな私でも、このパイロット役のセリフが「棒読み」であることくらいは分かります。
しかしこの直後、本作の目玉であるバーニング・ゴジラが姿を現し、彼の棒読み演技は帳消しになりました。

007058 香港蹂躙
映画開始後2分10秒で早くも姿を現したバーニング・ゴジラの鬼気迫る姿と、伊福部昭先生の手による「切迫感」と「不吉な予感」に満ちた楽曲との相乗効果で、2年ぶりの本格的東宝特撮映画に酔い痴れていました。
この時点ではまだ、平成ゴジラ最終作への期待は微塵も揺らいではいません。

【失望の連鎖】
しかし、そんな私の期待も高揚感も上映開始からわずか4分55秒で木っ端微塵に打ち砕かれました。
カット数でいえば最初の東宝ロゴから数えて丁度50カット目です。

006833 目の前の危機
私がガッカリさせられたのは、香港の街をバーニング・ゴジラが蹂躙するシーンの中のこのカットです。
現地で撮影してきた実景映像にゴジラを合成したものですが、画面奥から巨大なゴジラが迫って来るというのにバスも談笑する人々も平然とゴジラのいる方向へ進んでいるのです。
これに気付いてしまった瞬間、私の気持ちは早くも警戒モードに切り替わってしまいました。

「この映画、ダメかもしれない・・・。」

合成用ベース画面は香港の夜景を普通に撮影してきただけの実景映像ですから、そこにゴジラと無関係な人々が映ってしまっているのはある程度仕方がありません。
しかし、その前景に逃げる人々を合成するなどして誤魔化すくらいのことは出来たはずです。
映画の途中ならまだしも、冒頭のいわゆる「掴み」のシーンでいきなりあんな気の抜けたミス・ショットを見せられては先が思いやられるのも当然です。

案の定、細部へのこだわりを欠いた絵作りはこのカットだけではありませんでした。
しかも、ストーリー上で緊張感を持続させるべき箇所に限って大雑把な特撮ショットがやたらと目に付くのです。

118734 搭乗橋に注目
例えば、ゴジラとデストロイアの死闘が展開されている空港で、普通に離陸しようとする飛行機や搭乗橋をのこのこ歩いて旅客機に乗り込む乗客が写ってしまっていること。

095501 品川駅のエキストラ 部外者「何?この人達」 095734 84ゴジラと同じ過ち(この場合新幹線は止まります)
品川駅前を逃げるエキストラに「何?この人たち?」な部外者が紛れ込んでいて緊張感を著しく損ねていることや、怪獣が出現したというのに普通に新幹線が運行しているという『ゴジラ(昭和59年版)』で失笑を買ったあの同じ過ちを繰り返していること。

087137 おもちゃ? 112286 ジュニアの人形感
ちびデストロイアの群れがいかにもオモチャの人形であるだけでなく、その動きもまたラジコン操作の単調なものでとても生き物には見えないこと。
また、バーニングゴジラに近づくいていくゴジラ・ジュニアがやはりただの人形で、脚の動きと移動距離とが全く合っておらず、まるで地面を滑っているかのようであること。

予算もスケジュールも、そして(失礼ながら)スタッフの経験値も遥かに劣っていたであろう『ガメラ 大怪獣空中決戦』が、それでも細部のリアリティに拘って丁寧にカットを積み上げていたことを思うと、その後を受けて作られた『ゴジラvsデストロイア』の絵作りがこの体たらくであったことは本当に残念なことでありました。

084460 伊福部マーチとメーサー!この時ばかりはリアルなんてどーでもいい!
とはいえ、メーサー戦車と伊福部マーチの組み合わせだけは”別腹”です(笑)。
どんなに気持ちが醒めていても、条件反射で血沸き肉躍ってしまうのであります。


しかし、私がこの記事で書きたいことは、決してこんな技術的アラ探しではありません。
この映画には、もっと物語の根幹に関わる問題があるのです。

【山根恵美子】
016530 山根恵美子(河内桃子さん)
私の『ゴジラvsデストロイア』に対する一番の不満。
それは、せっかく河内桃子さんが再び山根恵美子役で出演してくれたというのに、作品の内容に全く活かすことが出来ないまま終わってしまうことです。
この映画の中ではオブザーバー的な扱いに過ぎず、中盤以降はその登場場面すら無くなってしまいました。
河内さんのスケジュールの都合などもあったのかも知れませんが非常に中途半端な扱いで、あれでは旧作に対するオマージュにもなっていません。

山根恵美子 ゴジラ目撃
山根恵美子は昭和29年の『ゴジラ』第一作における最重要人物の一人です。
彼女はゴジラを調査した古生物学者:山根博士(演:志村僑)の愛娘であり、大戸島で最初にゴジラを目撃した調査団の一員でもあります。

芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーを知るただ一人の人物
そして何より、あの芹沢大助博士(演:平田昭彦)の元婚約者であり、彼が作った(作ってしまった)オキシジェン・デストロイヤーを直接その目で見た唯一人の人物なのです。
ゴジラによる被害の大きさと悲惨さに耐えかねた彼女はその秘密を漏らし、結果としてゴジラ抹殺と芹沢の自決を招くことになってしまいます。

017470 恵美子とゆかり
恵美子は、酸素研究の第一人者である伊集院(演:辰巳琢郎)が開発中だというミクロ・オキシゲンが、かつて芹沢博士が産み出し、苦悩の末自らの生命と引き換えにゴジラと共に海に葬ったオキシジェン・デストロイヤーそのものではないかと危惧します。
そして、そのことを伊集院に伝えたいとTVキャスターである姪のゆかり(演:石野陽子)に相談するのですが・・・。

019110 「芹沢博士の死の意味は?」
その後に描かれたのは、ゆかりが恵美子の伝令役として伊集院にその旨を伝える間接的描写だけでした。
ここは本作品のテーマについて語られる重要なシーンですが、私には地に足が付いていない文言のやり取りにしか見えなかったのです。

「ミクロ・オキシゲンの先にオキシジェン・デストロイヤーがあることは分かっている。」

そう言う伊集院に対しゆかりはこう問いただします。

「では芹沢博士の死の意味は?。」

伊集院に対するこのセリフは、ゆかりではなく芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーを直接知る恵美子自身の口から発せられるべきものだったと思います。
そして・・・

「芹沢博士の遺志に逆らってまで作るとは言っていない。」

この伊集院の答えもまた、恵美子本人に向けられてこそ意味のある言葉です。

芹沢博士との面識も無くオキシジェン・デストロイヤーの現物も見ていない非当事者同士がいくら語り合って見せたところで、観る者の心に響いてくるものは何もありません。
昭和29年と平成7年がどうしても繋がらないのです。


あの現場
日本怪獣映画の始祖である昭和29年の『ゴジラ』第一作
不遜を承知であの歴史的名作をひと言で表すならば、「毒(オキシジェン・デストロイヤー)を以って毒(ゴジラ)を制した物語」だと私は解釈しております。
怪獣出現の恐怖を描いたパニック映画ではなく、核の申し子としてのゴジラと、科学の鬼子とも言うべきオキシジェン・デストロイヤーとそれを生み出してしまった芹沢博士の物語です。
その数少ない生き残りの中で、芹沢博士の遺志を平成の時代にきちんと語り伝えることが出来るのは山根恵美子だけでした。

030727 山根恵美子
河内桃子さんは一時期「ゴジラ女優」と呼ばれるのが嫌で、長い間特撮作品とは距離を置いていらっしゃったそうです。
それが「ゴジラ完結編」ということもあってか、今回41年ぶりに同じ山根恵美子役での出演オファーを受けてくれたのです。
『ゴジラ』第一作の直系の続編、すなわち芹沢博士の物語を改めて世に問う作品を作り得る最初で最後のチャンスでした。

しかし、このたった一度のチャンスを『ゴジラvsデストロイア』の制作者たちは完全に無駄遣いしてしまいました。
一作目へのオマージュを謳いながらもそれは上っ面だけで、中身は『ゴジラvsスペースゴジラ』までと何も違わない怪獣バトルものから脱却出来ていなかったのです。

もうやり直すことは出来ません。
なぜならば、河内桃子さんはこの『ゴジラvsデストロイア』公開の3年後にこの世を去ってしまわれたのですから。


【ゴジラ核暴走に関する違和感】
ゴジラと国会議事堂
核の恐怖を身にまとって出現した昭和29年の初代ゴジラ。
しかし、『ゴジラの逆襲』以降の作品では、核も放射能の危険性も具体的に作品中で語られることはほとんどありませんでした。
ゴジラが歩いたり放射熱戦を吐いた跡地には高濃度の放射線が蔓延しているはずなのに、です。

023439 議事堂前(第一作と同アングル) 023714 ゴジラ核爆発の危機
『ゴジラvsデストロイア』では、ゴジラ暴走の果ての核爆発やメルトダウンの恐怖を正面きってきちんと描いて見せています。
ゴジラが「核の怪獣」とされていながらこれまでのシリーズではどこか遠慮がちだった部分に果敢に攻め込んでいる点は評価しています。

067990 伊方原発に迫るゴジラ
さらに、『ゴジラvsビオランテ』の高浜原発以来となる原子力発電所への接近なども描かれています。
しかし、「核」に関する脅威はこんなに煽っておきながら、放射線汚染に関しては全くと言っていいほど描写されていません。
冒頭でゴジラが上陸した香港はさぞかし高濃度の放射線で壊滅状態だったことと思います。
あの最初の時点で、家を焼かれて途方に暮れる人たちや多量の放射線を浴びて医者も為す術がないといった一作目の避難所のようなシーンを描いておくべきでした。

そして。
105913 バーニングゴジラ
もう一つの不満といいますか疑問に思うのは、今回ゴジラ体内炉心の核分裂暴走が起きたその原因についてです。

劇中の説明ではバース島の地下にあった天然ウランが爆発した影響ということになっています。
つまり「天然の核エネルギー」を多量に浴びてしまった事が原因でゴジラが暴走したとの事ですが、本作のテーマから考えてそんな設定では筋違いではないか?と思います。

「筋違い」というのがおかしければ「勿体ない」と言い換えても良いです。
何故、この箇所を「天然の核エネルギー」ではなく「人間が作り出してしまった核の脅威」と設定しなかったのでしょう?。
どこかの国の核実験でも原子力潜水艦の事故でも良いのです。
再び核の恐怖を身に纏うことになったゴジラとオキシジェン・デストロイヤーから生まれたというデストロイアの対決によって昭和29年の第一作をリプロダクションしたうえでゴジラシリーズに幕を引くというコンセプトならば、そのトリガーとなるのは自然災害などではなく人間が作り出してしまった科学の驕り、すなわち核兵器であるべきだと思うのです。

141961 「これが科学や核を弄んだ人類の償い」
映画の最後に「これが科学を・・・核を弄んだ人間の償いなのか?」というゆかりのセリフがありますが、今回のゴジラ暴走が自然発生的なものであってはこのセリフにも全く説得力がありません。

「広島・長崎への原爆投下は戦争を早く終わらせるためだった」などと嘯く”彼の国”に対して遠慮でもしたのでしょうか?。
肝心なところが腰砕けになっているのが実に残念です。


【デストロイアって・・・要る?】
122572 ゴジラとデストロイア、デザインも配色もそっくり
そもそも、このコンセプトに対して新怪獣:デストロイアは本当に必要だったのでしょうか?。
体内にオキシジェン・デストロイヤーの力を持っているはずの怪獣ですが、結局のところはそれ以上の力を発揮したゴジラによって葬られてしまいました。
私にはコイツが何のために出てきたのか未だによく分かりません。
むしろ、コイツのためにオキシジェン・デストロイヤーに関する論点がぼやけてしまい、結果として山根恵美子の存在意義も中途半端なものにされてしまったと考えています。
(恵美子が登場しなくなるのも、群体デストロイアが出現したあたりからです。)
デザイン・配色ともバーニング・ゴジラとソックリなのも、ビジュアル面ではマイナスでしかありません。

108028 はげ山の一夜
怪獣の設定としても中途半端で、群体デストロイアが合体して巨大デストロイアになる過程の描写も無ければ、その納得いく空想科学的理由も語られていません。
これでは、あの『ゴジラ対メガロ』におけるジェット・ジャガーの巨大化と何ら変わりはありません。

かつて『ゴジラ対へドラ』をはじめとする「東宝チャンピオンまつり」のゴジラ作品を徹底的に蔑視した先輩ゴジラファンたちが、何故この『デストロイア』に対して声を荒げようとしないのか、私には不思議でなりません。


『ゴジラvsデストロイア』という作品を料理に例えるなら、伝説のレシピに二度と手に入らない貴重な食材を揃えながらも、肝心の味付けがまるっきりお子様ランチだった・・・みたいなガッカリ感に尽きます。
そして、その伝説のレシピはもう二度と再現することは不可能になってしまったという怒りと哀しみも・・・。
残念です。


141108 ゴジラ(第2個体)の最期
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ゴジラvsデストロイア ガメラ 大怪獣空中決戦

08
2017

週刊映画鑑賞記(2017.10/2~2017.10/8)

トガジンです。
毎週日曜日は、この一週間に観た映像作品について「分かり易く簡潔に」をモットーに書き連ねております。

とはいえ、今週は突然の衆議院解散のために報道関係の仕事が忙しくなっており、観た映画は2本だけでした。
他の空いた時間は、ほとんど『ガメラ 大怪獣空中決戦』と『ゴジラvsデストロイア』の記事を書くのに費やしてしまいました。

10/2(月)
ガメラ 大怪獣空中決戦
(ホームシアター:Blu-ray)
『ゴジラvsデストロイア』より先に本作品のレビューを書くことに決めたため、今回は時折メモを取りながら観返しました。
前に観たのはこのわずか10日ほど前ですが、全く飽きることなく最初から最後まで見入っておりました。
ここでは、先日(10/5)アップしたレビュー本記の冒頭部分として書いたものの、あまりにも長くなりすぎたため止む無くカットしたネタを採録しておきます。

ガメラ 大怪獣空中決戦』は何十回観返しても飽きないくらい好きな映画ではありますが、実は脚本担当が伊藤和典氏であると知るまでは全くと言っていいほど興味も無く期待もしていませんでした。
最初に情報を知ったのは本屋で立ち読みした「B-CLUB」か「宇宙船」のどちらかの雑誌だったと思います。
その時点では昭和ガメラシリーズ全作品をビデオで観てはいたものの、初めて劇場で観た『宇宙怪獣ガメラ』の印象が強く残っていて「今の時代にアレをやられてもなあ・・・。」と否定的だったことを覚えております。

『ガメラ:大怪獣空中決戦』ポスター「子供たちの守護神」
実際、初期のポスターには「子供たちの守護神ガメラ」とハッキリ書かれていました。
これは旧作のイメージから脱却出来ずにいた大映上層部の思い込みで作られたポスターでしょうか。

最初の特報も旧作のイメージを踏襲したものになっています。
特報 旧作ショット
最初は旧作のガメラの映像をそのまま使い・・・。

特報1 特報2
その後、回転ジェットのシーンに続いて「子供の守護神!」と、デカデカとキャッチコピー(?)が現れるという代物でした。

特報 新作イメージショット
最後は新作ガメラのイメージショットで締めていますが、この特報からは完成作品の面白さは微塵も想像出来ません。
これはおそらく、金子監督をはじめとする制作現場の意向を全く理解(あるいは容認)しないまま、宣伝部が独自の判断で作った特報ではないかと思われます。

結果として『ガメラ 大怪獣空中決戦』の興行成績は制作陣の期待値には及ばず、「ビデオやグッズ売り上げでようやく利益が出る」といった程度で終わってしまったようです。
限られた予算の中で創意工夫を重ねて作品を作り上げたスタッフはさぞ落胆したことと思いますが、その集客の弱さの原因の一つにこうした宣伝のチグハグさがあったことは確かだ思います。

ガンダム主題歌
これらを見ていると、TVアニメ『機動戦士ガンダム』の、オープニングと本編内容の乖離ぶりが思い出されます(笑)。
「♪正義の~怒りを~ぶつけろ~ガンダ~ム」
当時中学生だった私は「全っ然、そんな話じゃないのにな~」と、大人の事情を垣間見てしまった気分でありました。


10/7(土)
ここ最近は、WOWOWで録画したB級SF映画を観るのが定番の暇つぶしになっております。
珍しく仕事が早く終わったこの日、観たのはこの作品です。

PUSH 光と闇の能力者』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)
PUSH 光と闇の能力者
ひと言で言えば「超能力者もの」です。
超能力を持つ者を捕えてエージェントとして利用とする組織と、そこから逃れようとする能力者との戦いを描いたSF映画です。

念動力、予知能力、精神感応といったエスパーが大勢出てきますが、それらの名称がこの作品特有のものになっていて物語を追うのに支障をきたしている気がします。
例えば、予知能力者が「ウォッチャー」。
念動力を使う者を「ムーバー」。
他人の記憶を操作する能力者を「プッシャー」等々。
日本語字幕だけでも、昔から親しんだ「クレヤボヤンス 」とか「サイコキネシス」とかにしてくれればストレートに物語を楽しめるのに、とそこが残念でした。
多分、もう一回観直せば全体を理解できるとは思うのですが、そこまでしたいとは今のところ思っていません。

B級として観たこの映画ですが、出演者は意外にも豪華でした。
PUSH 光と闇の能力者 ダコタ・ファニング!
主演はダコタ・ファニング。
2009年公開の映画ですから彼女が14~15歳の頃の作品です。
ダコタ演じるキラは予知能力者で、絵を描くことでその内容を表すもののその絵がお世辞にも上手とは言い難いのが可愛いです。

ダコタ・ファニング主演作であることはWOWOWの番組情報にもありましたが、彼女だけの一点豪華主義ではありませんでした。
PUSH 光と闇の能力者 クリス・エバンズ
もう一人の主人公:ニック役は、キャプテン・アメリカことクリス・エヴァンス。
『ファンタスティック・フォー』(2005年版)のストーム役と『キャプテン・アメリカ』のキャプテン役との中間に位置する出演作です。

ニックは父親譲りの念動力の持ち主ですが、長年指南役がいなかったせいかその能力を使いこなせていません。
結局、ラストに至るまで彼の念動力者としての活躍は見られずじまいで、どちらかというと記憶操作能力者を利用した作戦立案のほうばかりが印象に残ります。
こうした超能力が発展途上にあるコンビが主軸になっていることが面白さに繋がっている作品と思うのですが、前述したとおり能力名をこの映画独自の名称にしてしまっているため感情移入しにくいのが残念です。

PUSH 光と闇の能力者 カミーラ・ベル
超能力者狩り組織ディビジョンから脱走した記憶操作能力者のキラを演じたのは、2010年度版 「最も美しい顔トップ100」で1位
になったこともあるカミーラ・ベル。
能力者であると同時に能力強化薬を奪って逃げたため執拗に追われることになるが、かつて恋仲だったニックと再会して一緒に行動することになる・・・が、しかし!?。
と、いうややこしい役どころでしたが、笑うとタレ目が超絶可愛い彼女を愛でるだけでも価値がある映画でありました(笑)。

タレ目にへの字眉という日本のアニメみたいに絶妙なバランスの美顔ですが、その特徴ゆえに「この子どこかで・・・?」と思いながら観ていました。
PUSH 光と闇の能力者 カミーラ・ベル(子役時代)
観終わった後、Wikipediaで調べてみて合点がいきました。
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997)の冒頭でコンプソグナトゥスの群れに襲われる少女役の子でした。
「あんな小っちゃかった子がちょっと見ないうちにこんな別嬪さんになって・・・。」と、まるで親戚の伯父さんみたいな感慨に耽ってしまいました(笑)。

PUSH 光と闇の能力者 クリフ・カーティス
もう一人、ニックの協力者:フック役は、『ダイ・ハード4.0』でシリーズ初の「使えるFBI捜査官」を演じたクリフ・カーティス。
「物の形状や色を一定時間全く別物と相手に誤認識させる」という非常に珍しい能力の持ち主で、その力を生かしてただの紙切れを紙幣に見せたり薬品の入ったトランクの色を誤魔化したりと大活躍でありました。
人懐っこい顔で善人も悪人も演じ分ける結構好きな俳優さんですが、ここ数年はゾンビものTVシリーズへのレギュラー出演のため映画で見かける機会が少ないのが残念です。

PUSH 光と闇の能力者 鬱陶しいサイコキ兄弟
印象深いといえば、ついでにコイツらも(笑)。
「ウォ------」と大声を張り上げて超音波を放つ実に鬱陶しい超能力兄弟。
特に左の革ジャン兄ちゃんのどアップは強烈でした。


今週もお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ガメラ 大怪獣空中決戦 PUSH 光と闇の能力者

05
2017

『ガメラ 大怪獣空中決戦』

CATEGORY映画:邦画
トガジンです。

1995年初頭。
子供の頃から映画・テレビで「怪獣もの」を観て育った私ですが、この頃の平成ゴジラVSシリーズに対してはすっかり愛想が尽きていました。
『ゴジラvsスペースゴジラ』の陳腐なストーリーに大雑把な特撮映像、そしてそれまでの世界観すら無視したリトル・ゴジラのデザイン、架空の軍隊Gフォースとその所有兵器である合体変形ロボット:モゲラによる現実感の喪失、等々・・・。
架空の存在が架空の世界で暴れまわるだけのファンタジーと化していました。

さらに、1月17日に発生した阪神淡路大震災の約2ヶ月に渡る現地取材の体験が、私を心身ともにクタクタに疲れさせていました。
撮影業務そのものの困難さと、水・食料・電気の不足と余震などで安眠出来ないことによる肉体疲労もさることながら、あの神戸の惨状を「他人事」「番組のネタ」としてしか見ない東京キー局ワイドショーのスタッフ陣の無神経さに連日イライラしていものです。
特に、焼土と化した神戸市長田区の惨状を見て「うわ~、ゴジラが来たみたいっすね~。」と無邪気にはしゃぐ若いディレクターには普段温厚な私も心底激怒したものでした。
※あの震災体験を怪獣映画と同じ枠組内で語ることは不謹慎と考えますのでここまでにしておきます。あの震災については後日別枠にて、きちんと書き残しておきたいと考えております。

あの大災害をこの目で見てしまった私には、たとえフィクションでも・・・いやフィクションだからこそ物語や人物像にしっかり筋が通っている作品でなくては受け入れ難くなっていました。
例えば、「人の死」をおふざけで描くような映画には無意識のうちに嫌悪感を抱くようになりました。
破壊された家屋や焼土と化した街の画も、そこに住んでいたであろう人々の痕跡が見い出せないお為ごかしな映像では納得出来ません。

そんな私が最初の鑑賞で夢中にさせられただけでなく合計4回も映画館に通い、発売日に購入したLDはそれこそ猿のように何度も何度も繰り返し観るに至った空想特撮怪獣映画。
それがこの『ガメラ 大怪獣空中決戦』です。

ガメラ大怪獣空中決戦
ガメラ 大怪獣空中決戦
<あらすじ>
プルトニウム輸送船「海竜丸」が移動する巨大環礁に接触するという事故が発生した。
同じころ五島列島姫神島に巨大な鳥が現れ人間を襲い始める。
岩礁を調査する海上保安官米森と鳥類学者の長峰は一つの結論に行き着いた。
移動する岩礁・ガメラは、人を襲う鳥・ギャオスを倒すために古代人が残した生物兵器だったのではないか?。
しかし、日本政府はガメラを敵と認識して攻撃を始めてしまう。

【この人なら・・・】
発表されたメインスタッフの名前は、当時の私には一人を除いてあまり馴染みの無い人たちがほとんどでした。
金子修介って何作った監督やったっけ?。」
樋口真嗣って、アニメの絵コンテ描いてた人?。」
お恥ずかしい話ですが、今では敬愛してやまぬ御二方に対して当時はこの程度の知識しか持っておりませんでした。

ただ一人、脚本を手掛ける伊藤和典氏にだけは大いに期待を寄せていました。
アニメ『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など、押井守監督の相棒として名を馳せた脚本家です。
難解になりがちなSFの設定・世界観をストーリー序盤で手際よく処理して観客に理解させ、その上でエンターティメントを盛り込んでいく無駄のない構成力と台詞回しのセンス。
特に『機動警察パトレイバー』劇場版2作品は、それまでのアニメや特撮映画が持っていたご都合主義を全く感じさせないドライなストーリーテリングとエンターティメント性を同居させた傑作だと思っております。
近年押井守監督が実写でセルフリメイクした『2』もオリジナルアニメ版は大傑作でしたが、私は1989年公開の『1』が特に印象深いです。

機動警察パトレイバー劇場版
『1』は当時一般的にはまだ馴染みが薄かったコンピューターウィルスの危険性を扱った作品です。
パソコンに詳しくない観客にもその犯罪の目的の恐ろしさを理解させたうえで、その被害を(文字通り)水際で食い止めた特車二課第2中隊の活躍をクライマックスの見せ場として昇華させるストーリーテリングは本当に見事でした。
これは、Windows95の発売によりパソコンの操作性が劇的に向上してインターネットが一般的になる6年も前の作品です。
私のように「もしもWindows95に帆場ウィルスのようなものが仕込まれていたら?」と怖くなった者も少なくないのではないでしょうか。

あの『機動警察パトレイバー劇場版』を書いた伊藤氏が『ガメラ』を手掛けるうえの抱負として語った言葉は、私がこの新生『ガメラ』に期待を抱くに十分なものでした。

「ちゃんとした怪獣映画を作りたい」

「ちゃんとしてない怪獣映画って?」というツッコミは置いとくとして(笑)、それがあの時期の私が求めていたシリアスな怪獣映画を示していることは明らかでした。
信頼のおける脚本家のこの一言だけで、お金を払って劇場に赴く価値は十分にあると確信したのです。


【怪獣のいる世界】
この映画では今まで一度も怪獣なるものが出現したことがない設定になっており、全ての登場人物は関係者・一般人を問わず初めて巨大生物(怪獣)を目の当たりにしてその恐怖に右往左往することになります。
本作は、『ウルトラマン』や「東宝チャンピオンまつり」から怪獣ものを観始めた私が初めてリアルタイムで体験する「ゼロからスタートする怪獣映画」でした。

ガメラ:大怪獣空中決戦 初めて怪獣の存在を知る人々 ガメラ:大怪獣空中決戦 ガメラと呼称します
「海の怪獣をガメラ、鳥形の生物をギャオスと呼称します。」

このセリフを聞いた時、(たとえリブートとはいえ)既成のルールに捕らわれない新しい怪獣映画の誕生に立ち会えた喜びを実感したものです。
後に『シン・ゴジラ』が同様のアプローチで日本のゴジラを再生することに成功しましたが、その21年前の本作品はその先駆けであったわけです。

しかし、こうした既定路線を排した作りには、旧ガメラのイメージを壊したくないとする大映サイドの反対も大きかったと思われます。
そもそも「ガメラが子供の味方として明確に描かれていない」ことに難色を示す向きも多かったそうですし、ガメラの飛び方やガメラの正体を古代人が作った生物兵器とする脚本の根幹部分にまで難癖を付けられて、金子監督は随分ご苦労されたそうです。

ガメラ:大怪獣空中決戦 回転ジェット
この「時間とエネルギーの無駄使い」としか思えないガメラの回転ジェット。
確かにこの映画には合わないかも知れませんが、ビジュアルがダイナミックで実は結構好きだったりします。
私は「目覚めてから最初の飛行ということでガメラもまだ要領を得ていなかったんだろう。」と脳内補完しながら見ることにしております(笑)。

ガメラ:大怪獣空中決戦 ミニチュア奥に怪獣
さらに、怪獣が初めて出現する世界ということからガメラとギャオスを最初から対となる存在として描いた点もリアリティを高めていました。
「怪獣対決物」は怪獣出現というただでさえ大きな嘘を本物らしく描かなければならないところに、それが2匹出てくることで大嘘も2つになり作品のリアリティを損なっていくばかりなのですが、ガメラとギャオスを一対の存在とすることでストーリー破綻を防いでいます。
こうした怪獣二匹の対決ものとしては『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』以来の成功例ではないかと思われます。

ガメラ:大怪獣空中決戦 主婦目線 ガメラ:大怪獣空中決戦 吊り広告
さらに、「細部にこだわる演出」にも手抜きがありません。
「怪獣のせいで魚が値上がりして困る」と言う主婦目線や、怪獣出現を「ブルセラ売春」や「裏ビデオ極上27本」と一緒に扱う雑誌の吊り広告などといった「怪獣が出現したらあり得そうなコト」を細かく画面に映し出してリアリティを高めています。

ガメラ:大怪獣空中決戦 ギャオスUP ガメラ:大怪獣空中決戦 ガメラUP
ただ、不満や違和感が全く無いわけではありません。
その一つが、ガメラもギャオスも古代人が遺伝子工学で作った生物兵器であるという基本設定になっていることです。
これにより、この世界における怪獣は人工的なものでそのイメージが矮小化されたと感じてしまうのも事実でした。
しかし、続く『ガメラ2 レギオン襲来』と『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では、その設定を逆に生かしてガメラのキャラクターをさらに底知れぬものへと昇華させています。

【特撮】
ゴジラの特撮とガメラの樋口特撮の違いを私の仕事で例えるとしたら、「セット全体を作り込んでのマルチカメラ撮影」と「1カット毎に被写体と背景・前景を作り込む1カメ撮り」の差でしょうか。

『ゴジギド』メイキング
ゴジラ(東宝)の特撮は大セット主義とも言われ、一つのシーンのミニチュアセットを広大なステージに作り込んでしまいます。
この精巧さたるや、中野昭慶特技監督曰く「小手先のカメラワークやカット割りに頼らずとも、フィックス(カメラ固定)による長尺ショットでも画が持つ」ほどのものです。
大きな箱庭にシーンごとのジオラマを作りこんでその中で撮影するようなものです。
このセット内で暴れる怪獣の一連の動きを複数のカメラを使って同時に撮影し、その後編集用に部分アップなどを撮るというマスター・ショット方式撮影も可能です。
ロング(全景)を撮るのも一発でOKで、しかも他の特撮ショットとの質感差は生じません。
半面、撮れるアングルや動きの範囲が限定されてしまい映像がワンパターン化してしまう可能性があります。
平成ゴジラVSシリーズ後期ではこの傾向が顕著に表れていて、毎年毎年大量の怪獣バトルシーンを作らなければならなかった川北特技監督のご苦労がうかがえます。
また、アングルにも制限があり、一発勝負の爆発ショットなどでは「写ってはいけないもの」まで写ってしまうこともありました。
それは例えば、空(ホリゾント)にくっきり映る建物や怪獣の影であったりとか、建物ミニチュアが吹っ飛んだあとに見えるステージののっぺりした地肌とかいったものです。

『ガメラ』メイキング
それに対してガメラの特撮は、盆栽方式とでも呼称すればよいのでしょうか。
特撮カット一つ一つを絵コンテに起こし、画面内に必要なものだけを入念に作り込んでカメラレンズ前に配置する方法です。
無駄なものは作らない、撮らない。
その代わり1カット毎の密度を、予算とスケジュールの許す限り高めていく。
予算の関係で大がかりなセットが使えないためにこのような方法を取ったと思われますが、逆にこれが怪獣映画としての臨場感を高めていたように思います。

ガメラ:大怪獣空中決戦 徹底した人目線
セットに奥行きがないことを誤魔化すためにもローアングルが基本になっていますが、これがことごとく「巨大怪獣を見上げる人間の視点」の映像になっているのです。
平成『ゴジラ』ではまるで怪獣バトルをヘリコプターで撮影したかのような怪獣目線の俯瞰ショットが圧倒的に多く、逆にこうした人間目線のローアングル特撮ショットは皆無に等しいです。

また、これらのシーンの大半は屋外(オープンセット)で撮影しているため、太陽光のおかげでミニチュアも着ぐるみも質感が増して見えます。
爆発の光でホリゾントに被写体の影が写ってしまうこともありません。

ガメラ:大怪獣空中決戦 ゴールデンショット!
オープンセットの利点を生かした、この映画一番のゴールデンショット(私見)です。
お金も時間もない中でありながら、この画を撮るために樋口監督たち特撮班は何日も天気待ち(夕日待ち)をしたそうです。

ガメラ:大怪獣空中決戦 実景合成・昼間 ガメラ:大怪獣空中決戦 ロングショット
この方法の弱点はロング(全景)ショットが撮りづらいことです。
そのため『ガメラ』では都市の全観ショットのほとんどは実景映像か、(ゴジラに比べて)スケールの狭いミニチュアセットで賄っています。
前述のローアングルで作り込んだショット群との質感差もはっきり画面に表れてしまっており、ゴジラに比べると特撮ショットの不統一感が気になるのは確かです。

もちろん「どちらが良い」とか「正しい」といった問題ではありませんし、「どちらが好きか」と訊かれたら「どちらも好き」と答えます。
しかし、1991年の『ゴジラvsキングギドラ』から『スペースゴジラ』までの4年間、毎年同じようなパターンの川北特撮に食傷気味だった当時の私が『ガメラ』の目新しい特撮映像に心惹かれたのも無理からぬことでありました。

ガメラ:大怪獣空中決戦 姫神島の惨状 ガメラ:大怪獣空中決戦 姫神島家屋
このギャオスに襲われた姫神島のオープンセットも新鮮に映りました。
なぜならば、この頃のゴジラVSシリーズでは、こうした怪獣に襲われた被害状況の描写は皆無だったからです。
繊細かつ大胆な壊しっぷりに、美術さんや大道具・小道具さんが楽しんで仕事しているのが画面からビシバシ伝わってきます。

ただ、公開当時の私は阪神淡路大震災の現場でこうした全壊家屋を数えきれないほど見てきたばかりだったため心穏やかではいられなかったのも事実です。
しかし、俳優さんの真摯な演技と被害状況を真面目に描こうとしている演出のおかげで嫌悪感を抱くことは一切ありませんでした。


【登場人物】
ガメラ:大怪獣空中決戦 久保明 ガメラ:大怪獣空中決戦 本郷功次郎
冒頭で移動する環礁(ガメラ)に遭遇する海竜丸と巡視船「のじま」の船長役として、久保明さんと本郷功次郎さんが出演しています。
久保さんは『マタンゴ』『ゴジラの息子』など、60年代の東宝特撮作品で数多く主演を務めていた方です。
本郷さんも同じ時期に旧作『ガメラ対ギャオス』をはじめとした昭和ガメラシリーズで主演を務めた方ですが、私としては『大魔神怒る』の千草十郎役が印象深いです。
直接顔を合わせる事はありませんが、かつて同時期にライバル会社同士の怪獣映画で主役を張ったお二人がこうして復活ガメラの冒頭を飾ってくれるとはオールドファンとしては嬉しい限りです。

ガメラ:大怪獣空中決戦 長峰
ギャオス担当ヒロインにして可愛すぎる鳥類学者:長峰真弓
少々舌足らずながらも、警察や環境庁審議官に対しても毅然とした態度で対応する女性です。
演じる中山忍さんはこの2年前『ゴジラvsメカゴジラ』にチョイ役出演していますが、あの時のお人形さんぶりとは見違えるほどイイ女になっています。
『ガメラ』のオーディションにはかなり熱心に参加していたらしく、当時は実姉:中山美穂の七光りと思われるのが嫌で女優業に真剣に取り組む決心をしていた時期でもあったようです。

ガメラ:大怪獣空中決戦 草薙浅黄
勾玉を介してガメラと精神でつながってしまう少女、草薙浅黄(演:藤谷文子)。
別に古代人の血を受け継いでいるとか元々超能力者だったとかでなく、たまたま勾玉を手にしたことでガメラとシンクロしてしまったようです。
正直なところ彼女とガメラの関係については今もよく理解出来てはいませんが、そこにどことなくエロスを感じてしまうのは私がおっさんだからでしょうか?(笑)。
多分彼女の容姿にも関係していると思えるのですが、この後『2』『3』とガメラとの関係性が薄れていくことを思うと本作品において(エロティシズムも含めて)その点をもっと示唆しておいて欲しかったと思います。
(『3』の綾奈はその点を補う意味も併せ持ったキャラクターでした。その件についてはいずれそのうち『ガメラ3』の記事で考察したいと思っております。)

ガメラ:大怪獣空中決戦 雪乃
浅黄の友人:雪乃(演:坂野友香)
脇役もいいところですが、この子も私にとっては重要なヒロインの一人であります(笑)。
ガメラに惹かれて異常な行動をとり始める浅黄を心配する良き友達で、私は彼女をこの映画における一般人の代表と思っております。
『ガメラ2』にも同じ役で登場してくれたのは嬉しかったものですが、残念ながら坂野友香さんは病気のため女優業を引退されてしまったようです。

ガメラ:大怪獣空中決戦 米森
ガメラ担当キャラクター、米森良成(演:伊原剛志)
映画の前半は最初のガメラ目撃者としてその正体をつかもうと奔走して物語を引っ張っていましたが、浅黄がガメラとシンクロしてからは長峰とのコンビでガメラとギャオス誕生の意味を考える役割に回っています。

ガメラ:大怪獣空中決戦 いつか怪獣のいない東京を・・・
ギャオスに纏わる姫神島以外ほぼ全てのシーンに登場し、中盤以降は長峰との淡い恋愛感情も見受けられてストーリーラインの縦軸を構成しています。
そんな彼が、どういうわけか続編の『ガメラ2』にも『3』にも名前すら出てこないのは非常に残念です。
『2』において「ガメラは本当に人類の味方なのか?」と疑問を抱くのは、穂波ではなく最初からガメラを見てきた米森であるほうがふさわしい気がします。

「製作サイドと伊原剛志さんとの間に何か確執でもあったのか?」と勘繰ったりもしましたが、伊原さん自身は『2』にも出たがっていたという話を聞いて少し安心しました。
ガメラ発見者としての役割を終えた彼は、仮に『2』『3』に出たとしても長峰との関係が気になる存在であるためウジウジした恋愛ドラマを発生しかねません。
怪獣出現シミュレーション映画『平成ガメラ』としてはドライに彼を切り離したものと考えています。

ガメラ:大怪獣空中決戦 大迫力
ギャオスに関する狂言回し的役回りの大迫力(おおさこつとむ)刑事(演:螢雪次朗)。
この大迫を見ていると、伊藤和典氏の脚本のキャラクター配置の特徴が浮き彫りになります。
伊藤脚本ではシーン毎に二人一組で物語が進行することが多いのです。
洗練されたセリフをテンポ良く応酬することで物語を進行していくスタイルのためか、単独行動のキャラクターを描くことは少ない気がします。

ガメラ:大怪獣空中決戦 「お前より鳥を選んだのさ」 ガメラ:大怪獣空中決戦 米森と浅黄 ガメラ:大怪獣空中決戦 草薙父娘
例えば、この映画のガメラ担当ペアは、「米森&草薙(父)」→「米森&浅黄」→「草薙父娘」へと推移していきます。

ガメラ:大怪獣空中決戦 大迫と長峰 ガメラ:大怪獣空中決戦 ドーム外・米森と長峰
そしてギャオス担当は、「長峰&大迫」に始まり、舞台が福岡から東京に移った時点で「長峰&米森」ペアへと入れ代わります。
大迫の出番は福岡ドームのシーンで終わってしまいましたが、彼は後のシリーズ全てに相手怪獣の最初の目撃者として登場することになります。
こうした作劇手法を採る伊藤さんにとって、大迫はどんな相手とも組み合わせやすい懐の深いキャラクターに仕上がっていたのでしょう。
もちろんそこには、螢雪次朗さんの演技力と人柄の影響もあったと思います。

ガメラ:大怪獣空中決戦 斎藤審議官とお偉いさんたち
「閣議決定だから」と、人間を捕食するギャオスをまるで絶滅危惧種のように捕獲保護せよと迫る環境庁の斎藤審議官(演:本田博太郎)。
上層部の意向や過去の例にばかり囚われて実態を見据えることが出来ない人物です。
これは私の憶測ですが、金子監督にとって斎藤審議官というキャラクターは「昭和ガメラのイメージから脱却出来ず、新作での設定変更にイチャモンばかりつけてくる大映上層部の面々」のメタファーだったのではないのでしょうか?。
そう考えて見ると『ガメラ3』で斎藤が長峰にこっそり情報提供して見せるシーンは、平成『ガメラ』に信頼を寄せ始めた彼らへの金子監督の心情変化を表していたものだったかも知れません。

ガメラ:大怪獣空中決戦 エキストラ福岡 ガメラ:大怪獣空中決戦 ついつい目が行くエキストラシーン
映画へのエキストラ出演にハマっている私としては、「怪獣から逃げ惑う人々」としてこの傑作にその姿を刻むことが出来た人たちが羨ましくて仕方がありません。
こうして見ると、福岡のシーンは夜間撮影であるにも関わらず小さいお子さんや赤ちゃん連れの参加者が多いので驚きます。
撮影は94年のはずですから、この赤ちゃんも今はもう成人して社会人になっっているのでしょうね。

ガメラ:大怪獣空中決戦 エキストラ新宿 誰も携帯持ってない
時の流れついでに・・・。
エキストラの皆さんが新宿でギャオスを見上げているこのショットですが、先日久しぶりに観返してちょっとした違和感を覚えました。
撮影されたのが1994年ということで、全員スマホも携帯も持っていません。
このような場面だと、現在なら皆スマホをギャオスに向けて写真や動画の撮影に夢中になっている画になると思われます。
ストーリーも映像も古さを感じさせない作品ですが、こうした映像を見るとやはり22年前の映画であることを実感します。


好き過ぎてとんでもなく長文になってしまいました。
当時の私にとっての『ガメラ 大怪獣空中決戦』を飲み物に例えるなら、灼熱の荒野で心身ともに渇ききっているところに絶妙なタイミングで差し出された無添加のミネラル・ウォーターのようなものでした。
身体が求めていたためにゴクゴクと一気に飲み干して、今でもお代わりを求め続けているような気がします。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ガメラ 大怪獣空中決戦