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26
2017

週刊映画鑑賞記(2017.2/20~2017.2/26)

トガジンです。

毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。

今週は『宇宙戦艦ヤマト』まつりです。
ヤマトに夢中だった中学生のころに戻った気分です。

2/20(月)
マグニフィセント・セブン
(劇場:福井コロナシネマワールド)
マグニフィセント・セブン
福井県では毎週月曜日はメンズ・デーということで、男性は一律1,100円で映画館を利用出来ます。
仕事帰りにこの『マグニフィセント・セブン』を観てきました。

『七人の侍』『荒野の七人』のリメイク作品です。
虐げられた貧しい農民たちが、七人のプロフェッショナルを雇って不当な搾取者たちから村を守る。
この基本プロットの映画に外れは無く、今回の『マグニフィセント・セブン』も例外ではありません。
個性的な7人のガンマンと村人たち、そして憎々しい悪党といったキャラクターたち。
閉鎖された空間である村の構造を活かした戦闘・戦術の面白さ。
オリジナルに比べるとやや小ぶりな印象はありますが、2時間13分を全く飽きずに楽しませてくれました。

デンゼル・ワシントンは『荒野の七人』のユル・ブリンナーと同じ黒づくめの姿で登場しますが、その表情がふと志村喬に見える瞬間もあって原作である『七人の侍』の味わいを感じることが出来ます。
ガトリング砲と刺し違えるファラデー(演:クリス・ブラット)は三船敏郎の菊千代、決闘シーンで登場するイ・ビョンホンは久蔵と、『七人の侍』と照らし合わせる楽しみもありますが何人かは今回オリジナルのキャラクターもいます。
イーサン・ホークが演じた心に傷を負ったロビショーなどはとてもいいキャラクターでした。
ただ、ファラデーとホーンのキャラが被っている印象もあったりして、もう少し人物像を掘り下げる尺があると良かったと思います。

クライマックスの銃撃戦は、アクションはもちろんですが銃弾が頭上を飛び交うサラウンド感が凄くて、思わず首をすくめるほどに臨場感タップリでした。
ブルーレイが出たら、我が家のホームシアターでもう一度堪能したいと思っております。

エンドロールで高らかに『荒野の七人』のテーマ曲が流れたタイミングは喝采ものでしたが、どうせなら『七人の侍』のフレーズも楽曲の一部に入れて欲しかったですね。

2/21(火)
さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』
(ホームシアター:Blu-ray)
さらば宇宙戦艦ヤマト
来週観に行く予定の『宇宙戦艦ヤマト2202』に向けて、現在過去の関連ヤマト作品を観直しています。

さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』は今度の新作シリーズのベースとなる劇場用映画第2作です。
完結作であることが明示されたこともあり、配給収入21億円という大ヒットを記録しました。
当時人気絶頂だった『宇宙戦艦ヤマト』の登場人物たちが一人また一人と命を落としていった揚げ句、主人公がヤマトで敵に体当たりして終わるという衝撃的内容が売りの映画でした。

実は最初に観た時点から、この『さらば宇宙戦艦ヤマト』は好きになれませんでした。
今もその印象は変わりません。

アニメとしても映画としても確かに出来は良いですし、言ってることも正論ではあります。
しかし、前作で「生きて還る」ことを目指して頑張ったキャラクターたちを、(一部を除いて)必然性もなくただ悲劇的に殺していく制作者の情の無さが感じられて寒気を覚えました。
当時、佐渡先生や森雪が死んでいく場面で客席からすすり泣く声が聞こえてきましたが、私には作り手であるあの西崎プロデューサーの計算高いにやけ顔が目に浮かんで仕方がありませんでした。

キャラクターの死で感動を押し売りされるのは願い下げですが、続編でヤマトそのものを破壊することには賛成です。
波動エンジンも波動砲もコスモリバースも、この時点の地球文明にはオーバーテクノロジー過ぎて復興後は軍拡の道具にしかなり得ないものだからです。
新作『2202』ではどうやらこの点がフォーカスされるみたいですが、期待3分に不安が7分といったところです。

2/22(水)
宇宙戦艦ヤマト2199』第一章、第二章
(ホームシアター:Blu-ray)
『宇宙戦艦ヤマト2199』第一章
『宇宙戦艦ヤマト復活篇』、キムタク主演の実写版『SPACE BATTLESHIP ヤマト』と往年のファンを裏切り続けてきたヤマト・リブート作品群の後を受けて発表された一作目のリメイク版アニメ。
最初は「フン、またか」と鼻で笑っていたものの、いざ観てみるとオリジナルTV版『宇宙戦艦ヤマト』に対する丁寧なリスペクトが好印象で、本当に好きな人が作っていることが分かって嬉しくなってしまいました。
結果として、全作のイベント上映を観に行ってブルーレイも全巻買っております。

この日はヤマト発進からガミラス冥王星基地陥落までを描いた第6話までをイッキ見しました。
旧作ではここまでを8話を費やしていましたが、ずいぶんとテンポが良いです。
また、ガミラス人の肌の色問題やヤマト艦内の組織的な矛盾なども解消されており、余計な脳内補完なしに楽しめる作品になっています。

ただこのリメイク版で気になっていたのは、ヤマトと大和の関連付けがまったく描かれていないことでした。
旧作のヤマトは太平洋戦争時代の大和の残骸を改造して作った宇宙船ということになっていましたが、流石にその設定は無理があります。
しかしそのことによってヤマトが戦争行為に対する禁忌を込めた存在となって、ラストの異性人とも解り合えるというテーマにも繋がっていたはずでした。
しかし、リメイク版では地球軍の艦船の名前が旧日本軍のものにならって命名されていて、新造の大型宇宙戦艦であるヤマトもあの戦艦大和から名をもらったに過ぎないという設定のようです。
右と左両方への配慮から旧日本軍には一切触れないことにしたのでしょうが、どこか事務的で腑に落ちない気分はありました。
続編の『2202』ではこの点について何がしかのアプローチがあるのでしょうか。

2/23(木)
宇宙戦艦ヤマト2199』第三章、第四章
(ホームシアター:Blu-ray)
『宇宙戦艦ヤマト2199』第三章
宇宙戦艦ヤマト2199』の続きです。
3巻目だけのつもりで観始めたものの、勢いがついてしまって結局ブルーレイ2巻、8話分をイッキ見してしまいました。
予定外の夜更かしで、翌朝の5時半起きがツラかったです。

旧作には無かったオリジナルエピソードが2本あってどちらも後半の伏線になっています。
そのうちの超能力を持つ種族がヤマト乗組員の記憶を探りに来るエピソードは、松本零士先生がアニメ終了後にスピン・オフとして描いた「永遠のジュラ編」を元にしているらしく、「こんなところまで踏襲するのか」と感心したものでした。
ドメル将軍もその部下たちも人物像と背景が掘り起こされていて、この調子で26話で収まるのかと心配になるほどの密度です。

2/24(金)
『ゴジラ対メガロ』
(ホームシアター:WOWOW録画)
1973 ゴジラ対メガロ
この日アップした本作品のレビュー内容の確認と写真撮りのため再視聴しました。

ゴジラシリーズ中1、2位を争う不人気作品です。
確かに行き当たりばったりな脚本と低予算からなる映像のチープさのため、ほとんど見るべきところの無い作品です。
しかし、当時小学三年だった私は、この映画に出てくる等身大二足歩行ロボット・ジェットジャガーがとても気に入っていました。
あの荒唐無稽を絵にかいたような映画にあって、唯一近未来をリアルに感じさせてくれる存在だったと思います。
「あんなロボットが欲しい」と思わせてくれたジェットジャガーのような二足歩行ロボットは、現在様々な形で実現しつつあります。
もちろん、意思を持つことと巨大化は別ですが・・・。

23日のレビューで舌足らずだった部分を加筆・修正しました。
『スター・ウォーズ』の<特別篇>みたいなことをしてしまってお恥ずかしいです。


宇宙戦艦ヤマト2199』第五章
(ホームシアター:Blu-ray)
『宇宙戦艦ヤマト2199』第五章
完全にハマってしまいました。
『宇宙戦艦ヤマト2199』はこの巻から独自の展開へと進みます。
ヤマト艦内にも不協和音があり、先行き不透明なイスカンダルへの旅を中断して居住可能な惑星への移住を希望するグループのクーデターが描かれます。
続いてガミラスではデスラー総統の暗殺計画が起こり、ドメル将軍はその濡れ衣を着せられて失脚。
さらにガミラスの持つ長距離ワープゲートを利用して大幅な日程の遅れを取り戻すことに成功します。
それらの合間に旧作のエピソードも巧みに持ち込まれていて、なかなか手際よく腑に落ちる設定と展開で、何度見ても面白い『ヤマト』です。

2/25(土)
『ゴジラ対メカゴジラ』
1974 ゴジラ対メカゴジラ
前作『ゴジラ対メガロ』の不出来と『流星人間ゾーン』へのゴジラ客演などで、特撮作品に見え隠れする「大人の事情」に気付いてしまった私でしたが、それでもこの映画は面白かった!。
気になるのは、キング・シーサーを呼び起こす歌が長すぎることと、奄美一族のお爺さんが言ってることが支離滅裂なことくらいです。
そもそもキング・シーサーがこの映画に必要だったかどうかという疑問もありますが(笑)。

2/26(日)
『宇宙戦艦ヤマト2199』第六章
(ホームシアター:Blu-ray)
旧作でも大きなヤマ場だったドメル将軍とヤマトの決戦が描かれます。
その最中に、イスカンダルの皇女と間違えられた森雪が敵に拉致されてしまいますが、旧シリーズの『ヤマトよ永遠に』の要素も取り入れているようです。
残り6話しかない中で少々詰め込みすぎではないかと心配になります。
この巻では劇場公開の日程が1ヶ月前倒しされてしまった影響で、後半(第21、22話)の画のクォリティが落ちているのがはっきり分かって残念でした。

さて、あと残るは第七章と劇場版『星巡る方舟』です。


個人的な趣味日記にお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:マグニフィセント・セブン 宇宙戦艦ヤマト2199 さらば宇宙戦艦ヤマト

23
2017

『ゴジラ対メガロ』

CATEGORY『ゴジラ』
2/26 AM10:30、一部、記事の加筆と修正を行いました

トガジンです。

小学三年生になったばかりの1973年春、「東宝チャンピオンまつり」の一篇として封切りで観た作品です。
私の当時の感想はというと、ジェットジャガー欲しい!」でした。
ソフビなどのおもちゃではなく、自分の命令通りに動く等身大のロボットが欲しいと本気で思っていました。

ゴジラ対メガロ
1973 ゴジラ対メガロ

<あらすじ>
相次ぐ核実験に怒った海底王国シートピアが昆虫怪獣メガロと宇宙怪獣ガイガンを使って地上を攻撃してきた。
若き天才科学者が造った万能ロボット、ジェットジャガーは突然自我を持ち、怪獣島からゴジラを呼び寄せ自らも巨大化して戦いを挑むのだった。

ジェットジャガー
ゴジラ対メガロ』といえばジェットジャガーです。

対メガロ ジェットジャガー起動対メガロ ジェットジャガー肩車
ゴジラファンからは非難の対象でしかないジェットジャガーですが、冒頭で述べたように当時の私はかなり気に入っていました。
等身大サイズで意思を持たず、人間の命令に従って柔軟に行動するロボットというのがとても新鮮に思えたのです。
当時、ジェットジャガーに肩車してもらう六郎君を羨ましく思ったことを憶えています。
あの無機質な硬い動きも、ジィィィーッ、カチャッカチャッ、という動作音もロボットの精密機械感を身近に感じさせてくれていました。

このジェットジャガーを現在のドローンの発展形と考えてみると、近未来SFとしては意外にリアリティのある存在ではないかと思います。
(もちろん「自我を持つ」とか「巨大化する」は別にしての話です)
例えば、原発や汚染地域など放射能や有害ガスが充満した場所での危険な作業。
あるいは、二次災害の恐れがある災害現場での急を要する救助活動。
そして、武装したテロリスト集団との戦闘や人質救出等々・・・。
こういった特殊な現場においては、遠隔操作と緊急時の自己判断可能なA.I.を装備して人間の数十倍の力を発揮するロボットがあれば、人間の負担や被害を最小限にとどめて大きな成果を得られるはずです。
映画の中でジェットジャガーが造られた理由は語られていませんが、おそらくこうした使用目的があったはずだと思います。

対メガロ ジェットジャガー実現近し?
対メガロ ホンダのアシモ
数年前、ホンダの二足歩行ロボット ASIMOを始めて見たときに私がまず最初に思い浮かんだのはやはりジェットジャガーでした。
人の叡智がジェットジャガーに追いついてきたのです。

1973年の時点では人間の指令で動く等身大ロボットが活躍する特撮作品は存在してなかったと思うのですが、翌年この番組がスタートすることになります。
対メガロ 電人ザボーガー
『電人ザボーガー』
これ、大好きでした。
自分が改造人間にされるわけでも宇宙人に乗り移られるわけでもなく、巨大ロボットみたいに置き場所に困ることもない等身大の頼れる相棒。
ジェットジャガーに惹きつけられたのと同じ魅力がザボーガーにはありました。

対メガロ ターミネーターとジョン
ちなみに、『ターミネーター2』の少年ジョン・コナーを守るようプログラミングされたT-800にもこれと似たものを感じていました。
仮にジェットジャガーに「弟の六郎を守る」というプログラムが仕込まれているという設定だったなら、自我を持つのも巨大化することも心のどこかで納得出来たかも知れません。


【1:スジ 2:ヌケ 3:ウゴキ】
「日本映画の父」マキノ省三は、映画の出来を決定付ける要素としてこの3つを挙げておられます。

1:スジ=物語
2:ヌケ=映像
3:ウゴキ=演技

1、2、3の順番で重要度が高いわけですが、これが『ゴジラ対メガロ』においてはどうかと言うと・・・。

1:物語
もう本当にナンセンスというか滅茶苦茶なストーリー展開で、小学生が書いた脚本といわれても信じてしまいそうです。

対メガロ この場合ふつう死にます
吹っ飛ばされたコンテナに閉じ込められた伊吹兄弟が、地面に激突した衝撃にもビクともせずピンピンしていました。
この場合、普通死にます。
もっと機転の利いた脱出方法を考えられなかったものでしょうか。
これでは『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』の冷蔵庫のシーンを笑うことは出来ません。

対メガロ メガロとガイガン
海底のシートピア王国の守護怪獣が何故か昆虫であることも奇妙ですが、さらにMハンター星雲からガイガンを呼び寄せるコネと技術があるというのも驚きです。

対メガロ ジェットジャガー巨大化
ジェットジャガーが何の伏線も無く突然意思を持ち、しかもムクムクと巨大化します。
その説明というのが・・・

対メガロ 「きっとそうだよ」
「頭脳部分に何か刺激を与えられて意思を持ってしまったんだろう。きっとそうだよ

一応SFですからストーリー展開に飛躍があるのは当然ですが、それを楽しむためには説得力ある理屈が必要です。
ジェットジャガーが意思を持つのも巨大化するのも「こうすれば子供が喜ぶだろう」という考えでやっているのでしょうが、納得いく理屈つけも無くこれをやるのは子供に対する侮辱です。
福田監督がいくら持ち前のハイテンポな演出で押し切ろうとしても誤魔化し切れるものではありません。

対メガロ 借りパク
また、倫理的に問題があるシーンもあります。
主人公たちが怪獣騒ぎの合間に飛行機のオモチャを借りパクするという、火事場泥棒のような真似をさせているのです。
非常時という設定とはいえ、子ども向け映画で平然とあのような描写をするのはいかがなものかと思います。

ゴジラ対メガロ』の脚本は当初関沢新一氏に依頼したのですが、関沢氏は多忙のため簡単なアイデア提出と主題歌の作詞のみの参加になっています。
あの脚本を書いたのは福田純監督自身であり、福田監督のSFセンスとストーリー構成能力の程度が露呈してしまった作品です。

2:映像
映像の安普請ぶりについては、前作同様に低予算作品ということで同情の余地はあります。
前作と同様、旧作の特撮シーンを多数流用しておりその分量は上映時間81分中7分程でした。

対メガロ メガロの光線対メガロ 何度も壊される芳園
今回はメガロの光線をキングギドラと同じデザインにすることで、再び大手を振ってキングギドラの都市破壊シーンを使いまわしています。
しかし、この3ヶ月ほど前の「東宝チャンピオンまつり(1972年冬)」で『ゴジラ電撃大作戦(怪獣総進撃)』を観たばかりだったことと、全く同じ状況が前年の『ゴジラ対ガイガン』にも存在していたことから、流石に当時の私も「またこれか」と思ったものです。

この事に関しては前作『ゴジラ対ガイガン』でも気付いてはいましたが、前作の時点ではそれほど気にはしていなかったと思います。
『ウルトラマン』シリーズでもMATやTACの出撃シーンは毎回同じ映像が使われているのを承知のうえで観ていたのですから。
しかし映画で何度も同じものを見せられると子供ながらにゲンナリしてしまいます。

対メガロ ダム決壊対メガロ ダム決壊で押し流されるメガロ
特殊技術の中野昭慶さんは、徹底した低予算と短期スケジュールの中で「一点豪華主義」で作るしかなったと仰っています。
メガロのダム破壊シーンは確かに往年のクオリティに迫る出来でした。
しかしその後がいけません。
濁流と一緒になぜかメガロも水と一緒に流されてしまいます。
流されるメガロで一体何を表現したかったのでしょうか?。

対メガロ ゴジラキック
私にとって『ゴジラ対メガロ』の最大の汚点は、このゴジラのドロップキック2連発です。
『ゴジラ対へドラ』のゴジラ飛行シーンに激怒した田中友幸プロデューサーがよくコレを許したものだと思います。

3:演技
俳優さんたちは皆さん真剣にそれぞれの役を演じていらっしゃったと思います。

対メガロ 兄弟_1
子役の川瀬裕之さんも、拙いながらも一生懸命演じていて当時の子供たち(私もその一人)の代表としての役割を果たしてくれていました。
しかし、せっかくの真摯な演技も肝心のシナリオがあの通りなため、真面目にやればやるほど却って間抜けに見えてしまうのが気の毒でした。

演技と言えば、この作品ではゴジラたち怪獣にも極端に擬人化した演技が付けられています。

対メガロ ゴジラ乙女
ゴジラが乙女チックに手を組んだり・・・
対メガロ ゴジラVサイン
Vサインしてみせたり・・・
対メガロ おしりペンペン
メガロがおしりペンペンして見せたり・・・

これらが福田監督の演出によるものなのか中野昭慶さんの演出なのかは分かりません。
しかし怪獣の神秘性や威厳はおろか、ゴジラのヒーロー性すら辱めた描写であることは確かです。


【昭和48年】
この頃の私は怪獣ものに対して以前のように無条件で熱中することが出来なくなっていました。
それは『ウルトラマン』シリーズに決別してしまったことが大きかったと思います。

対メガロ 帰ってきたウルトラマン
小学一年生の頃の私は『帰ってきたウルトラマン』が本当に大好きで、その時間に晩ご飯に呼ばれても頑としてテレビの前から離れようとしないほどでした。
その年の夏、初めて映画館に連れて行ってくれた祖母が『ゴジラ対ヘドラ』をチョイスしたのも、私が怪獣好きということを知っていたからでした。

対メガロ ウルトラマンエース
しかし、後番組の『ウルトラマンA』で急激に醒めてしまうようなエピソードが放映されてしまいました。
初代ウルトラマン、ウルトラセブン、そして大好きだった帰ってきたウルトラマンといったかつてのマイヒーローが、強力な宇宙人の手で磔にされてしまいそれをエースが助けるという2話連続のストーリーでした。
ほんの数ヶ月前まで心の中に君臨していたヒーローが、最新ヒーローを引き立てるためのやられ役にされていたのです。
今思えば1クール過ぎた時点でのテコ入れであったことは分かりますが、当時の私には受け入れ難い事でした。
この回以降も似たような展開の話が何度かあり、いつの間にか『ウルトラマンA』は見なくなってしまいました。
特撮番組の「大人の事情」を垣間見てしまったわけです。

それでも映画館で観るゴジラは別格だと思っていて、『ゴジラ対メガロ』に連れていってもらえたときは嬉しかったものです。
しかし、この時の「東宝チャンピオンまつり」プログラムの中で、一番面白くて記憶に残ったのはゴジラではなく『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』でした。
私の興味は『マジンガーZ』などのアニメに移り、特撮も『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』など等身大ヒーローものが中心になりました。
『ファイヤーマン』や『ジャンボーグA』も観ていましたが、『ウルトラマンタロウ』はその名前とセブンにツノをつけただけのデザインに馬鹿にされたような気分になって見ていません。

1954 ゴジラと流星人間ゾーン
秋から始まった『流星人間ゾーン』は全くのノーマークだったのですが、新聞のテレビ欄に「ゴジラ登場」と書かれていたことで途中から観始めた番組でした。
この時は本当に驚いたものです。
ゴジラが怪獣島の格納庫みたいなところから出撃してきたのですから!。
『流星人間ゾーン』は他にキングギドラやガイガンも登場していましたが、後から考えると監督に本多猪四郎、福田純、特技に中野昭慶、川北紘一(敬称略)、といった東宝特撮スタッフが多数参加した超豪華な番組でした。

しかしながら、映画でしか見られなかったはずのゴジラがテレビのヒーローものに客演しているのを見ていると、何だかゴジラが特別な存在ではなくなってしまったような寂しい気持になったのも事実でした。
何のことはない、『ウルトラマンA』のときと同じことが繰り返されていたのです。

対メガロ 初代ゴジラ
この『流星人間ゾーン』のゴジラが出ている回を見ていた時だったと思います。
母から「ゴジラって、昔はものすごく怖くて悪い怪獣やったんやよ」と聞かされたのは。
当時の私にとってゴジラは、『ゴジラ対へドラ』で人間のために満身創痍になりながらもへドラと戦ってくれた雄姿が全てでした。
この時はとても信じられませんでしたし、そのことを確かめる方法もありませんでした。


夏の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(短縮版)』は楽しんだものの、冬休みは「東宝チャンピオンまつり」には行かず年上の従兄弟たちと一緒に『日本沈没』を観に行きました。
『仮面ライダー』の本郷猛(藤岡弘)が出ていたことで、あの絶望的で暗く怖い話をなんとか最後まで観ることが出来た私は、特撮好きは変わらないものの怪獣以外のベクトルの作品にも視野が広がっていました。


対メガロ ジェットジャガー意思
後半かなり脱線してしまいましたが、最後までお付き合いただきありがとうございました。
最後にもう一度。
ジェットジャガーはみんなが言うほど悪くはないですよ。

Tag:ゴジラ対メガロ ジェットジャガー

20
2017

『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。

福田純監督の手によるゴジラシリーズ第12作目。
小学二年生になったばかりの春休みに観た作品です。

「ゴジラとアンギラスの吹き出し会話」と、「過去の特撮映像の使いまわし」によって世間一般では低評価に属する作品です。
私は「吹き出し」について当時どう思ったか覚えていませんが、特撮映像の再利用については部分的に気付いていました。
あの頃を思い出しながら、改めて『ゴジラ対ガイガン』について考えてみたいと思います。

『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
1972 地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン

<あらすじ>
売れない漫画家・小高源吾は、世界子供ランドの怪獣デザインの仕事に採用される。
世界子供ランドは、まだ少年のような会長と事務局長が運営する不思議な組織だった。
源吾はその世界子供ランドに兄を拉致されたという少女と出会ったことから密かに調査を開始。
実は世界子供ランドの正体は、地球征服を狙うM宇宙ハンター星雲人たちの侵略基地だった。
ハンター星雲人の操るキングギドラ・ガイガンと、ゴジラ・アンギラスとの決戦が始まる…。

【面白いじゃないですか!】
対ガイガン スチール
1:「吹き出し」は見なかったことにする。
2:「特撮場面の再利用」は低予算だから仕方がない。

このように脳にフィルターをかけたうえでの話ですが、なかなかどうして面白いです。
謎の組織、気のおけない仲間たち、そして随所に散りばめられたアクションとユーモア。
それでいて、前作から引き継いだ公害問題や文明社会の行きすぎた発展への警鐘なども盛り込んでいます。
お世辞にも一流とは言えませんが、少年少女に見せる勧善懲悪アクション映画としては上等な映画ではないでしょうか。
(あくまでも「吹き出し」と「特撮の二次利用」は別としてですが)

【脚本家・関沢新一】
『怪獣島の決戦ゴジラの息子』以来久々となる関沢新一氏の脚本によるゴジラ映画です。
洗練された台詞と各シーンごとにオチがある見やすい構成で、登場するキャラクターもそれぞれ個性がはっきりしていてメリハリがあります。
ただ、『三大怪獣地球最大の決戦』以降は怪獣たちを人間と同じような意志あるものとして書いているのが気になるところです。
私はゴジラを擬人化に向かわせた張本人は実はこの関沢脚本ではないかと思っているのですが、今回もゴジラとアンギラスが人間と変わらない思考を持って会話するシーンが盛り込まれていました。

【福田純監督について】
監督は、こちらも久々の登板となる福田純監督。
テンポの良い演出スタイルは関沢氏の脚本とは相性が良いらしく、今回も低予算ながらも持ち味を発揮されています。
しかし、やはり怪獣に対しては愛も畏敬の念も持っていないご様子でその点は不満です。

福田純監督と本多猪四郎監督との最も大きな違いは怪獣に対する距離感にあると思います。

本多監督は、怪獣や超常現象に対して常に一定の距離感を保って演出しています。
災害のメタファーとして、あるいは思疎通の余地の全くない生きものとして描きつつ、昔の人が山や河やカミナリなどを神様に見立てて畏れたように怪獣にも畏怖の念をもって描いているという印象です。
そのため架空の怪獣に対する役者のリアクションをとても大事にしていて、たとえそれがどんなに荒唐無稽な対象であっても常に真摯な演技を要求します。
結果として、本多作品では怪獣に対しては親しみより畏れの印象が強く残る事になります。

それに対して福田監督は、人間も怪獣たちも同じようにキャラクターとしてとらえているようです。
そのため怪獣の擬人化にも無頓着であり、今回のように吹き出しで怪獣にしゃべらせるという演出にも抵抗が無いのかも知れません。
『南海の大決闘』のレビューで、福田監督の演出には怪獣に対する愛が感じられないと述べましたが、福田監督は怪獣を脅威として描くつもりがないのですから当然かも知れません。

もし、このまま福田x関沢コンビでゴジラシーズが作り続けられたとしたら、いつかはゴジラと人間が会話をする作品が作られていたかも知れません。
このことが単なる私の思い込みでなかったことは、福田監督が脚本も特撮演出も全て担当した翌年の『ゴジラ対メガロ』を観ることで分かります。

【登場人物】
本作品も『ゴジラ対へドラ』と同様、おなじみの東宝俳優さんの姿がほとんど見られない作品です。

かつて福田純監督が手がけた『南海の決闘』と『ゴジラの息子』には、本多猪四郎監督作品に数多く主演した俳優さんが多数参加していました。
彼らは、いかに架空の存在が相手であっても真摯な演技を当たり前のように出来る人たちで放っておいても演技の質が高かったものですが、低予算の影響でフリーや劇団などから引っ張ってきた若手俳優ばかりではなかなかそうもいきません。

対ガイガン 源吾
小高源吾(演:石川博)
売れない漫画家ですが、有能なマネージャーが付いていることもあってあまり深刻に物事を考えないタイプの人物。
たまたま採用された世界子供ランドのキャラクターデザインの仕事から異星人の地球侵略計画に関わるハメになります。
その後、この体験をマンガに描いて売れたかどうかは定かではありません。

対ガイガン 友江トモ子
友江トモ子(演:ひし美ゆり子)
源吾のマネージャーとのことですが、売れてもいない漫画家にマネージャーが付くとは思えません。
この二人は付き合っていて、トモ子としては源吾が売れてくれないと結婚も出来ないため少々焦っているといったところでしょうか。
演じるのは、特撮ファンには『ウルトラセブン』のアンヌ隊員でお馴染みのひし美ゆり子さんです。
個人的には、タバコを吸うのがちょっと残念でした。

対ガイガン 梅田智子
志摩マチ子(演:梅田智子)
世界子供ランドに拉致監禁された兄の消息を追っている黒髪ロングヘア―の美少女です。
前半はミニスカートで活動していて、子供の頃の私は時折見える白いものに胸ときめかせたものでした。
まったくどうしようもないエロガキでした。

高杉正作(演:高島稔)
兄を探すマチ子に協力するヒッピー風の男。
見かけによらず礼儀正しくて頭も働く気の良い男ですが、マチ子との関係は不明のままです。

対ガイガン ゴキブリ星人コンビ
須東文夫(演:藤田漸)
世界子供ランド会長を名乗る天才少年。
須東文夫は実は一年前に死亡しており、M宇宙ハンター星雲人がその姿を借りていたものでした。
ちなみに生前の須藤少年は学年ビリの劣等生だったらしいです。

久保田(演:西沢利明)
世界子供ランド事務局長。
「ベリーです!」と中途半端な英語を交えるその口調は、今ならルー大柴呼ばわりされることは確実です。
演じるのは『宇宙刑事』シリーズのコム長官こと西沢利明さん。
正体を現す直前の顔演技は絶品でした。

【吹き出し】
フキダシ1「おい!アンギラス」
フキダシ2「なんだい?」
フキダシ3「すぐていさつにゆけ」
ここから酷評モードに入ります。
まずはゴジラとアンギラスの吹き出し会話についてです。

予告編では『南海の大決闘』から当たり前にやっていましたが、本編の演出としてこれをやるのは反則行為です。
斬新といえば斬新ですが世界観そのものをぶち壊しにしています。
『ゴジラ対へドラ』で板野監督がゴジラを飛ばしたことに田中友幸プロデューサーが激怒したというのは有名な話ですがこっちのほうがよっぽど問題です。
「勝手に性質を変えてもらっては困る」と宣ったとのことですが、こちらは「キャラクターを勝手に色付けしている」演出です。
何故これを許諾したのか理解できません。

そもそもこのシーンで台詞を明示する必要性があるとは思えません。
ゴジラとアンギラスが何事かを感知したらしい動作を見せるだけで十分です。
子供の理解力を低く見すぎているようで、子供向けと云いながら子供を馬鹿にしている演出で心底不愉快でした。

ところで。
国内では吹き出しで済んでいますが、海外版ではもっと凄いことになっていました。
なんと、ゴジラとアンギラスの会話が声優によって吹き替えられていて英語で喋るのです!。
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「ヘイ、アンギラ―」
「オーイエー」

これを思えば吹き出しなんて可愛いものです。

【特撮】
特撮シーンはガイガンの部分だけは新しく撮影されていて、この画などはかなり良かったです。

対ガイガン ガイガン、カッコええ
しかし、大多数は『三大怪獣地球最大の決戦』や『怪獣総進撃』『サンダ対ガイラ』などからの再利用カットでした。
過去の特撮カットを再利用すること自体は円谷英二特技監督も何度かやっていることで、『三大怪獣地球最大の決戦』の中で『空の大怪獣ラドン』の博多襲撃シーンをシネスコサイズにトリミングして挿入したりしています。
しかしそれは注意深く見ないと気付かないレベルで、博多市であることが分からないように巧みにマスキングされていて自然に流れの中に溶け込んでいました。

対ガイガン 再利用特撮
対ガイガン ゴジラ股間攻撃
私は『ゴジラ対ガイガン』を始めて観た時に、キングギドラの都市破壊シーンやゴジラが股間を集中攻撃されるシーンが以前観た映画と全く同じであることに気付いていました。
なぜなら、この映画のわずか3ヶ月前に「東宝チャンピオンまつり(1971年冬)」で『地球最大の決戦』の短縮版を観たばかりだったからです。
特にゴジラが股間を攻撃されてジタバタするシーンについては、前にも同様に大笑いした記憶が残っていたためすぐに同じ画だと分かってしまいました。

こうした配慮の無さに加えて、この映画は編集が非常に雑です。
ゴジラ対ガイガン』の戦闘シーンは全て夜の設定になっているのに、昼間の映像にフィルターをかけて無理矢理挿入しているため空の色がパカパカとカットごとに変わってしまいます。
本多監督の『オール怪獣大進撃』も低予算化のため特撮シーンの大半が再編集でしたが、ゴジラがミニラに放射熱戦の訓練をするシーンは『ゴジラの息子』に同様のシーンがあるにも関わらずきちんと撮り直していました。
『息子』でのそのシーンは夜の設定だったため『オール~』にはそのまま使えなかったからです。

対ガイガン モスラが写ってる
また、『三大怪獣』からの流用カットには一瞬ではありますがモスラの幼虫が映り込んでいるものがあります。
せめて手前に岩などを合成して、モスラを隠すくらいのことは出来なかったものでしょうか。

対ガイガン ゴジラぼろぼろ
再利用といえば、ゴジラの着ぐるみもボロボロで見るに堪えないものでした。
このスーツは『怪獣総進撃』以来のもので、撮影で使用するのは4作目ですしアトラクションにも使用されたことでしょう。
表面の凹凸が剥がれ落ちてしまって、それこそケロイドみたいになってしまっています。
中島春雄さんが演じる最後のゴジラなのですから、少しでも補修してあげて欲しかったですね。

【音楽】
音楽も伊福部昭氏が新規に作曲したものは無く、過去の作品の楽曲の使いまわしでした。
オープニングの楽曲はそれまでの特撮作品では聞き覚えの無いものでしたが、これは大阪万博の時に作られたものでやはりこの映画オリジナルの曲ではないようです。


でっかいからだに かわいい目玉
あすもたたかう ぼくらのゴジラ
がんばれ がんばれ ぼくらのゴジラ

これは別にいりませんから、新怪獣ガイガンのテーマ曲だけでも新しく作ってほしかったです。

友江トモ子(演:菱見百合子)
この作品のあと、私の特撮に対する見方が徐々に変わっていくことになります。
『帰ってきたウルトラマン』の後番組『ウルトラマン・エース』とアニメ『マジンガーZ』がその原因でしたが、その話は次の『ゴジラ対メガロ』の時に・・・

対ガイガン 絵
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ゴジラ対ガイガン ガイガン

19
2017

週刊映画鑑賞記(2017.2/13~2017.2/19)

トガジンです。
毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。

とはいえ、週の前半は映画どころではなくなってしまいました。
私としたことがインフルエンザにかかってしまったのです。
日曜からなんとなく調子が悪かったのですが、月曜の朝あまりにもしんどいので体温を測ってみるとなんと38.2度。
とりあえず後輩に仕事の交代を頼んで病院に行きました。
2日間は安静にして熱が下がっても外出は控え、仕事も一週間分キャンセルせざるを得ませんでした。
イタイな~。

2/13(月)
絶対安静
2/14(火)
絶対安静
2/15(水)
念のため安静

2/16(木)
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(3D吹替版)🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)
ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたちの

今回観たのは3D吹替版です。
3Dを選択した理由は『ドクター・ストレンジ』の時の失敗によるもので、2D字幕版を観てしまったあとで3Dの出来が素晴らしかったと聞かされ後悔していたのです。
映画館で観る映画は一期一会のものですから、出来る限り最良の条件で味わいたいものです。

2/17(金
『ゴジラ対へドラ』
(ホームシアター:Blu-ray)
1971 ゴジラ対へドラ

思い入れが強すぎてなかなかまとめることが出来なかった本作のレビューも無事アップ出来ました。
映画館デビューのこの作品をじっくり観直すことは「自分が何で出来ているのか?」ということを考える良い機会だったと思います。

2/18(土)
『沈黙‐サイレンス‐』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)
沈黙-サイレンス-

上映終了も近い今頃になってやっとこの作品を観てきました。
キリシタンでも何でもなく、むしろ宗教に対して嫌悪感を持っている私には、ロドリコの「転び」がむしろ彼にとって救いであったように思えました。
気まぐれな神様に気を遣って生きていても疲れるだけです。

2/19(日)
『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』
(ホームシアター:WOWOW録画)
1972 地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン

ゴジラシリーズ12作目。
ゴジラとアンギラスの吹き出し会話シーンの脱力感からこれまで駄作呼ばわりしていた作品でした。
しかし、レビュー執筆を前提に真面目に観直すと、意外にキャラクターが立っていてテンポも良く面白い映画でした。
アンヌ隊員とロングヘアの美少女とコム長官を見ているだけでも価値ありです。
吹き出しはやっぱり抵抗がありますが、海外版はなんと人の声で吹き替えているのです。
それを思えば・・・。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。
17
2017

『ゴジラ対へドラ』

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。
1971年(昭和46年)は日本映画界にとって激動の年でした。
邦画大手5社のうち、大映が倒産して日活がロマンポルノへ転向したのもこの年の出来事です。
東宝では前年に円谷英二特技監督が死去して特撮課は解散となり、同じく専属制度が無くなっておなじみの俳優さんたちの姿も見られなくなりました。

そんな中で公開された「ゴジラ」シリーズ第11作は、当時日本を騒がせていた公害問題をテーマとして取り入れた久々の社会派特撮映画でした。
怪獣バトルのみならず、実験的映像表現に内包されたエロス、グロテスクな人死に描写もあるシリーズ最大の異色作です。

ゴジラ対へドラ
1971 ゴジラ対へドラ

<あらすじ>
海洋汚染が進む駿河湾で謎の怪獣によるタンカー襲撃が相次いでいた。
地元の漁師から奇妙な生物を持ち込まれた海洋生物学者の矢野は、海底調査を行うが謎の生物に襲われ重傷を負ってしまう。

ヘドラと命名された新怪獣は、今度は工場の排煙を求めて上陸してきた。
硫酸ミストによる被害が蔓延する街にゴジラが出現、へドラと激戦を繰り広げるが決着は付かない。
へドラは急速に進化を遂げて、いつしか飛行能力を得て白昼堂々出現するようになっていた。

矢野は息子の研のアイディアからヘドラを倒す方法を思いつき自衛隊に協力を要請する。
ヘドラはゴジラを上回るほどに巨大化した姿で富士山麓に出現した。
そこへゴジラも現われ、ヘドラとの最終決戦が始まる。


【初の映画館体験】
プロフィールにもある通り、これが私の映画館デビュー作です。
小学校一年生の夏休みでした。
一学期の成績が良かったことを喜んだ祖母が、ご褒美として初めての映画に連れて行ってくれることになったのです。

この時「東宝チャンピオンまつり」を選択したのも祖母でした。
当時私がテレビの『帰ってきたウルトラマン』に夢中になっていたことから、「怪獣が出る映画に連れて行けば喜ぶだろう」という単純な理由だったと思います。
連れて行ってくれた祖母もそれを許した両親も、そこで上映される『ゴジラ対へドラ』がこんなクレージーな映画だとは知る由もなかったはずです。

08 ゴジラ登場
あのときの高揚感は今でもよく覚えています。
映画館の暗闇で初めて仰ぎ見る巨大なスクリーンと、そこに映し出されたゴジラの雄姿。
テレビと違って意識を集中する必要もなく、眼や耳に勝手に情報が飛び込んでくるような感じでそれに抗うことが出来ません。
卵から孵った雛が最初に見たものを親と思い込むのと同じように、私の脳に映画の原体験として刷り込まれてしまいました。

13 へドラの赤い眼
画面の奥からこちらを睨みつけてくる真っ赤な眼。
当時はこれが女性の●●●をモチーフにしたデザインとは知る由もなく、ただただ不気味で吸い込まれそうな恐怖を感じていました。

14 うげ~19 白骨死体
テレビの『仮面ライダー』で人間が解ける描写を見たことはありましたが、これほど明確に人が死ぬ場面を見せつけられたのはこの作品が初めてです。
ヘドロにまみれての圧死・窒息死や、高所から転落してなおかつ白骨化するなど、子供心にも「こんな死に方はしたくない」と思うようなものばかりでした。

29 ゴジラ飛ぶ
悪評高いあのゴジラの飛行シークエンスについても、初めて見た私の目には頼もしいゴジラの能力の一つとして映っていました。
現在も、飛ぶ必然性について疑問はあるものの他の方たちが酷評するほどには抵抗は感じていません。

11 エロス
そして、綺麗なおねーさんの大胆な姿を目の当たりにして初めて抱いた何だかわけのわからない衝動と欲求・・・。
後に伝説の深夜番組「11P.M.」(火曜&木曜)を親の目を盗んでこっそり見たり、廃品回収のエロ本を集めたりしたことの原動力でありました。

22 マルチ
もう一つ、忘れがたいイメージがこのマルチスクリーン・・・

20 赤ちゃん
・・・の中の一つ、ヘドロに埋もれて泣き叫ぶ赤ちゃん!。
照明スタッフのお孫さんを本当に泥の中に埋もれさせて撮影したそうです。
これはもう、一生忘れることの出来ない映像です。


連れて行ってくれた祖母は「子ども向け映画」ということで安心していたのか隣の席でぐうぐう寝ていました。
もし一緒に見ていたら「こんな残酷で教育に悪い映画はいけません」と、次から怪獣映画には連れて行ってもらえなかったかも知れません。

26 ゴジラ対へドラ
その日の私は、夏休みの絵日記に堂々6ページを使って『ゴジラ対へドラ』を観に行った時のことを書いています。
そのうち2ページは見開きでシネスコ画面を再現し、放射熱線を吐くゴジラと眼からビームを放つへドラの対決を画面いっぱいに描きました。
ビデオはもちろん書籍による資料も何も無かった頃です。
はっきりと記憶が残っているうちに、あの衝撃と興奮をなんとかして形に残そうと必死で書いたことを覚えています。

担任の先生はその力作に「たいへんよくできました」と花マルを付けてくれましたが、「でも、えにっきは1にち1ページにしましょうね」とやんわり注意書きを添えることも忘れていませんでした。
絵日記の現物が残っていないのが残念でなりませんが、このことは今でも同級生たちの笑い話にされています。

【登場人物】

矢野研(演:川瀬裕之)
03 主人公
研は『ゴジラ』(昭和29年)でいうところの尾形(宝田明)と同じ役回りのキャラクターであり、作品中のほとんどの主要場面に登場して状況を見聞しています。
この映画の主人公が、科学者でも政治家でもカッコいいヒーローでもなく私と同年代の少年だったことは、このメッセージ性の高い映画への感情移入を容易にしてくれていました。

矢野一家
10 矢野親子
研の父である海洋生物学者・矢野徹(演:山内明)と母の敏江(演:木村俊恵)。

とても意外なことですが、ゴジラシリーズの中で子供とその両親が一緒に暮らしているという「当たり前の家庭」が描かれている作品はこの『ゴジラ対へドラ』だけです。
前作『オール怪獣大進撃』も怪獣好きの少年が主人公でしたが、両親とも健在でありながら親子3人が一緒に映る場面は存在しませんでした。
他にも子どもがメインキャラクターとして登場する作品はありますが、いずれも片親だったり離れて暮らしていたり兄弟だけで生活していたりと「親子が一緒に暮らす当たり前の家庭」が描かれた作品はありません。

作品的には異端と呼べる『ゴジラ対へドラ』が、どうして一般的な家族の姿から物語を始めていたのか?
この映画には、まだまだ考察の余地が残されています。

毛内行夫(演:柴本俊夫)
05 行夫
この作品の中で最も理解に苦しむキャラクターです。
映画序盤での初登場シーンは爽やかな好青年風で、研を助けてくれる頼れる存在として活躍するものと思っていました。

15 目が逝ってる行夫
ところがこのアングラ喫茶での行夫は、飲み過ぎなのかクスリでもやっているのか、虚ろな目をして幻覚に怯えるだらしのない姿が描かれていました。
もしこれが「東宝チャンピオンまつり」の一篇でなければ、ミキとの濡れ場があってもおかしくないような描写です。

行夫は終盤で無謀にも松明でへドラに立ち向かいますが、ヘドロを浴びてあっけなく死んでしまいます。
しかし、その死に対してミキや研が驚いたり悲しんだりする描写は一切ありません。
過去の怪獣映画にありがちだった「特定のキャラクターにヒーロー性を持たせる」ことを徹底して避けているのが分かります。

富士宮ミキ(演:麻里圭子)
11 おねーさん


水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン
シアン マンガン バナジウム クロム カリウム ストロンチウム
汚れちまった海 汚れちまった空~

『ゴジラ対へドラ』といえばこの主題歌「かえせ! 太陽を」が思い浮かぶという方も多いと思います。
しかし私は、大人になって映画を観返すまでこの歌についてはほとんど記憶に残っていませんでした。
おそらくオープニングのヘドロの映像やアングラ喫茶の派手なビジュアルといった視覚面の印象が強くて、歌には意識が向いていなかったものと思われます。

33 ラストシーン 研とミキ
当時7歳になったばかりの私は、映画冒頭やアングラ喫茶でこの歌を歌い踊る珍奇な格好のおねーさんと、後半でずっと研に寄り添ってくれていたミキは別人だと思い込んでいました。
行夫の性格設定もそうですが、ミキは前半と後半でキャラクターの外見がまるで違うため小学一年生の認識能力の範疇を大きく超えてしまっていたように思います。

板野義光監督】
メイキング 卵
中央の人物が板野義光監督 左は特殊技術の中野昭慶氏

『ゴジラ対へドラ』は板野監督の初監督作品になります。
前年の大阪万博の三菱未来館の映像演出を経て、田中友幸プロデューサーからゴジラ次回作について相談を持ちかけられたのがきっかけでした。
板野監督は40歳で監督デビューとやや遅咲きでしたが、水中映像やイベント映像等の撮影ノウハウに長けている方で、『ゴジラ』映画の3Dライセンスまで所有しているほど映像表現に深い造詣を持つ監督さんです。

脚本はベテランの馬淵薫氏との共作になっていますが、実際は板野監督が全面的に書き直していたとのことです。
これは板野監督が『ゴジラ対へドラ』において「作りたいもの」「撮りたい映像」のイメージを明確に持っていたことの現れでしょう。
しかし板野監督はゴジラ飛行シーンを強行したことで田中プロデューサーの逆鱗に触れてしまい、その後ゴジラシリーズから干されてしまいました。

【ゴジラと公害】
昭和29年の初代『ゴジラ』は、当時の日本人にとって最大の社会悪であった核兵器問題を主軸として戦争被害の記憶を脳裏に刻み直した作品でした。
第3作目『キングコング対ゴジラ』は、全体にコメディタッチでありながらもコマーシャリズムに踊らされる経済成長期の日本の風潮を描いていました。
続く『モスラ対ゴジラ』においても同様で、エスカレートする商業主義の傲慢に加えてインファント島の描写を通して十年ぶりに再び核についても問題提起しています。

初期のゴジラ映画は、その時代ごとの社会問題を機敏に取り入れたストーリー作りをしていたのです。
ところが『地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『怪獣総進撃』では宇宙怪獣や異星人が相手になり、『南海の大決闘』『ゴジラの息子』では南洋の孤島を舞台としていたため、これらの作品には社会性を盛り込む余地がありませんでした。

『ゴジラ対へドラ』は、『モスラ対ゴジラ』以来久々に登場した社会メッセージを内包するゴジラ映画です。
昭和29年の『ゴジラ』第一作の核問題を公害に置き換えてリスペクトしているのです。

17 事実
光化学スモッグでばたばたと人が倒れるシーンは前年の夏に実際にあった出来事の再現であり、これは一作目でいえば第五福竜丸事件にあたる出来事といえます。

13 へドラ煙吸う
前半でへドラが襲撃するのは公害が社会問題になった「四日市コンビナートの工場」や「田子の浦港」でした。
これは、初代『ゴジラ』が戦争の記憶を呼び覚ますかのように東京大空襲のB29と同じルートをたどって蹂躙したのと重なります。
さらに、へドラが通った跡に硫酸ミストによる大気汚染と金属腐食の被害が残るのは、かつてゴジラが蹂躙したあとには致死量の放射能汚染が残されていたことをなぞっています。

そして、ラストのテロップ「そしてもう一ぴき?」
これは昭和29年『ゴジラ』ラストシーンにおける山根博士の台詞そのものです。

【警察と自衛隊】
初代をリスペクトしている『ゴジラ対へドラ』ですが、過去の本多猪四郎監督作品とは決定的に違う部分があります。
本多作品では、怪獣出現に際して住民避難を誘導する警察官や規律正しくテキパキと行動する自衛隊の姿が必ず描かれていました。
しかし板野監督の『ゴジラ対へドラ』では、どちらも全く無能な存在として扱われています。

13 使えない警察28 自衛隊無能
警察は「へドラが地上に現れた」との通報を「へドラは海のお化けだろう」と言って無視したため人的被害の拡大を招いています。
また、自衛隊は最初のへドラ出現から上陸まで一度も出動・応戦するところが描かれていません。
終盤の電極版作戦のくだりでも足並みが揃わずに計画が狂ったり、事故による電源消失に指揮官は喚き散らすばかりで頼りにならないことこの上ありません。

『ゴジラ対へドラ』製作の3年程前に「東大安田講堂事件」が起こったばかりで、「国や役人はあてにならない」「むしろ敵」という風潮があったことから意図的にこのような描写をしているものと思われます。

【睨】
「『ゴジラ対へドラ』は子供向け、この作品からゴジラが人間の味方になった」と言われます。
公害問題という重いテーマをゴジラを使って子供にも分かり易く描いた点では、確かに「子供向け映画」と呼んで差し支えないと思います。
しかしゴジラを人間の味方として描くことはしていません。

32 ギロリ
辛うじてへドラに勝利したゴジラが、去り際に人間たちをギロリと睨みつける場面があります。
ゴジラは自然環境のためにへドラと戦ったのであって決して人間のためではなかったということです。
これはあの怪獣映画の傑作『ガメラ2<レギオン襲来>』におけるガメラの立ち位置と同じです。
再びへドラを生み出すようなら昔のように人間社会に牙を剥くことも辞さないという、人間に対して怒りの意思を見せた最後の昭和ゴジラでした。

【公開日の謎】
些細なことですが、ちょっと気になっていることがあります。
Wikipediaをはじめ全ての公式資料において、『ゴジラ対へドラ』(を含む東宝チャンピオンまつり)の公開日は昭和46年7月24日(土)となっています。

新聞広告の謎(21日公開?負けるゴジラ?)
<福井新聞縮刷版より昭和46年7月21日付>

ところが、当日7月24日の地元新聞にはどこにも「東宝チャンピオンまつり」の広告が無く、3日前の7月21日(水)の新聞に「本21日全国同時封切」と書かれていました。
7月21日といえば夏休み初日です。
地元映画館(福井東宝)がフライングで上映開始したのかと思いましたが、「全国同時封切」と明記されていますからそうではないようです。
たった3日の差ですが気になります。
他の地域ではどうだったのでしょうか?。

それとキャッチコピーが間違ってますね。
「地球が危ない!負けるゴジラ!公害怪獣へドラを倒せ!」
正しくは「負けるなゴジラ!」だと思いますが、こんなチョンボがあるということは東宝オフィシャルではなく地元映画館の独自広告だったのでしょうか?。

節分イベント
私にとって生まれて初めて映画館で観た映画であり、今も最も思い出深い作品です。
とめどなく長文になってしまうのを抑えることが出来ませんでした。
絵日記に6ページを費やした小学一年生の頃から全然成長していませんね(笑)。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ゴジラ対へドラ ゴジラ へドラ 板野義光