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2017

週刊映画鑑賞記(2017.4/17~2017.4/23)

トガジンです。

昨日ふとカウンターを見てみると、いつの間にか1,000カウントを超えていました。
この趣味丸出しのブログにご来訪頂いた皆様、まことにありがとうございます。
半年で1,000という数字が多いのか少ないのかは分かりませんが、一つ大台を超えたことは地味に嬉しいです。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。



さて。
毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。
忙しさも落ち着いて、久しぶりにゆっくり映画を楽しむ時間も取れた一週間でした。

4/17(月)
この日はメンズデーということで男性は一律1.100円で映画館を利用できます。
仕事も休みということで久しぶりに映画のハシゴをしました。

夜は短し歩けよ乙女』🈠
(劇場:テアトルサンク)
夜は短し歩けよ乙女
『君の名は。』の異常なまでの大ヒットは出資者たちに「アニメはカネになる」と思わせるに十分だったらしく、昨今はアニメ映画の企画が目白押しのようです。
本作の湯浅政明監督もすでに次回作『夜明け告げるルーのうた』の公開が控えていて、氏のような特異な才能の持ち主に脚光が当たるようになったのは喜ばしいことです。

湯浅監督は劇場版『クレヨンしんちゃん』などで、一目でこの人の作画と分かる独特の画風・動きを表現するアニメーターでした。
優れたアニメーション監督は数多けれどこれほどアニメーションを武器に出来ている人は少ない気がします。
キャラクターや動きがまるで戦前のまんが映画風で、酒を飲み干すときの腑に落ちて行く大袈裟なアニメ表現や詭弁ダンスのぐねぐねした動きなどが目に新しいです。
まるで舞台を観ているみたいだと思っていたら、終盤は本当に演劇シーンに物語が集約されていくのも愉しかったです。

私はアニメは好きですが、いわゆる声優さんにはあまり興味はありません。
しかしこの映画で黒髪のヒロインを演じた花澤香菜さんの声は、舞台女優のように透き通って抜けが良くビームのように観客席に響いて来る力強さを感じました。
また、音楽担当が大島ミチルさんであったことも個人的にポイント高いです。
女性作曲家でありながら、男性以上に骨太でダイナミックな楽曲も書けてしまう守備範囲の広さを持つ作曲家だと思っています。
『ゴジラ』のミレニアムシリーズ(手塚昌明監督作品)で聴かせてくれた新しいゴジラのテーマ曲は、故・伊福部昭氏を継ぐものとして以後の参加を期待していたのですが系譜が途絶えてしまったみたいで残念です。

映像の楽しさ、演出・テンポの良さと共に、耳に心地良い映画でもありました。
世界観を同じくするというテレビアニメ『四畳半神話大系』もぜひ観てみたいと思っております。


そしてもう一本。

『パッセンジャー』
(劇場:テアトルサンク)
パッセンジャー
ずっと以前から期待していた作品だったのですが、最初に観たとき何かしっくりこなくてモヤモヤしていたSF映画です。
アイデアもストーリーも、映像表現も俳優の演技も良く出来ているのに、何故か内容に没入出来ないまま終わってしまいました。
「面白くない」わけでも「自分の体調が悪かった」わけでもないのにこれはいったいどうしたことか?。

今回2度目を観てその理由が解った気がしました。
自分の映画評の基準に関わる話になりますので、改めてレビューをまとめてみたいと思っています。

4/18(火)
映画鑑賞無し

4/19(水)
映画鑑賞無し

4/20(木)
『ゴジラ(昭和59年版)』
(ホームシアター:自己流再編集バージョン)
1984 ゴジラ
『ゴジラ(昭和59年版)』レビューをまとめながら観返していました。
公開当時からごく最近まで、「もう二度と観ることは無いであろうゴジラ映画」の一つとして長い間無視を決め込んでいた作品でしたが、大きく視点を変えて観直すと力及ばずながらも意外にストイックで真摯な内容の映画でした。
実はここまでのゴジラ映画で、「核兵器」に正面から向かい合っていた作品は無かったのです。
もっと若い世代のスタッフを重用し、武田鉄矢に割くコストと時間と労力をゴジラの活躍シーンに振り向けてくれれば、もしかしたら歴史に残る大傑作になっていたかも知れません。

4/21(金)
ゴースト・イン・ザ・シェル』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)
ゴースト・イン・ザ・シェル

<ネタバレを含みます。未見の方は閲覧にご注意ください。>

仕事帰りにレイトショーで観てきました。
う~む。
元より過度な期待はしていませんでしたが、やはり自分が知っている『攻殻機動隊』とは全くの別物になっていました。
ハリウッド版『ドラゴンボール』や北村龍平版『ルパン三世』、あるいは日本版『スパイダーマン』のようなものでしょうか。
押井守監督の劇場版と『イノセンス』やテレビ版『S.A.C.』シリーズもごちゃ混ぜにして『攻殻』初心者にも分かり易い映画に作り替えられた結果、リスペクトしていたはずの押井守作品のカラーが根こそぎ削ぎ落されてしまっていた・・・という印象です。
犬のガブリエル、アヴァロンアパート、広告塔の文字、さらにはエンドクレジットに『イノセンス』の楽曲が流れる等、中途半端に押井守へのオマージュは出てくるものの、元となった『攻殻機動隊』の持つ哲学的テーマ(自我の存在への疑念)は失われていました。

ゴースト・イン・ザ・シェル 押井守
元になった押井守監督の劇場版『攻殻機動隊』と『イノセンス』はバトーが主人公であり、彼から見た草薙素子(のゴースト)の物語です。
(ちなみにテレビ版『攻殻機動隊S.A.C.』はトグサ視点、次の『2nd GIG』で初めて素子が主役になっています。)
劇場版のストーリーをベースにしているはずですが、これを素子視点で描いてしまったために着地点を見失ったように思えます。
「自我とは何か?」の話を「記憶の捏造、許すまじ!」という話にすり替えてしまっていました。
しまいには素子の母親(演:桃井かおり!)まで登場する始末で、そのリアルにくたびれた演技も手伝って「サイバー人情劇場」へとなり果てました。

ゴースト・イン・ザ・シェル スカヨハ素子
草薙素子役がなぜ白人女性であるスカーレット・ヨハンソンなのか?。
これはホワイトウォッシング(有色人種の役に白人をキャスティングすること​)そのものではないのか、という議論もありました。
いや、”少佐”と呼ばれてはいましたが、序盤での名称は”ミラ”になっていました。
本来日本人だった”草薙素子”は1年前に企業の実験台にされ、記憶を描き替えられて”ミラ”というサイボーグの頭脳にさせられた、という設定に変更されて、彼女がその記憶を取り戻していくことがストーリーの主軸になっています。
なるほど、スカヨハの姿形は義体のデザインにすぎないということであれば、素子役が白人女性でも納得は出来ます。
逆に言えば、ホワイトウォッシングを正当化するための設定・ストーリーの改変だったという見方も出来なくはないですが・・・。

しかし、そのスカーレット・ヨハンソンは全身サイボーグにしてはムチムチで肉付きが良すぎますね(笑)。
走ったり壁を飛び下りたりするにも身体が重い感じでドタドタとした動きに見えてしまいます。
むしろ生命力に溢れていて、機械の身体に魂を閉じ込められた女性の哀しみや戸惑いは感じられません。

劇場版アニメ『攻殻機動隊』における素子の描写は鉄面皮ともいうべき無表情を貫いていて、その反動で彼女の内面にある(と本人が願っている)ゴーストの存在を浮きだたせる演出だったと思います。
今回のスカヨハ版素子は表情がありすぎてそんな儚さは微塵も感じることは出来ませんでした。
残念。

4/22(土)
モーガン プロトタイプ L-9』🈠
(ホームシアター:レンタルBlu-ray)
モーガン プロトタイプ L-9
『パッセンジャー』と同じく、ハリウッドのブラックリスト脚本(未映画化の優秀な脚本)の一つをリドリー・スコットがプロデュースした作品。
・・・というより、その息子ルーク・スコットの監督作品ということで注目した作品です。

ある大企業の研究施設の一つが人口生命体の開発に成功したものの、彼女”モーガン”の精神は非常に不安定で研究者たちに危害を加える事故が起こった。
本社から派遣された女性調査員リーは事態の収拾を図るが、実は彼女の正体は・・・、というストーリー。

閉鎖された空間で人ならざるものと人間たちが心理戦を展開するというお話からは『エクス・マキナ』が連想されます。
ゲーム『バイオハザード』(1作目)もこんな雰囲気の物語だったように思います。
また、リーの正体については、プロデューサーであるリドリー・スコットの名作『ブレード・ランナー(最終版)』にも通じているように感じます。

モーガンが極端なコミュ障でキレやすい子供に見えてしまうことと、最終的にモーガンをキレさせたセラピストの態度がいかにも彼女を挑発している様に描かれていたことから、キャラクターや世界観描写の浅さとストーリー進行に性急さが感じられ、秀逸なSF世界に浸りきることが出来ませんでした。
せっかくの良いアイデア・良い脚本なのに「もったいないな」というのが正直な感想です。

4/23(日)
『ゴジラvsビオランテ』
(ホームシアター:Blu-ray)
1989 ゴジラvsビオランテb

生まれて初めて観た映画、『ゴジラ対へドラ』。
わずか数秒分とはいえエキストラとして撮影現場に参加した『シン・ゴジラ』。
「東宝チャンピオンまつり」に基づく私の怪獣映画への認識を、丸ごと書き換えてしまうほどに感動させてくれた第一作目の『ゴジラ』。

私にとっての「ベスト・オブ・ゴジラ」のうちこれらの次に来るのがこの『ゴジラvsビオランテ』であり、個人的にも色々と思い入れのある作品でもあります。
『ゴジラvsビオランテ』レビューは来週中のアップを目指して鋭意編集中です。


今週もお付き合いいただきありがとうございました。

Tag:ゴースト・イン・ザ・シェル 夜は短し歩けよ乙女 モーガン プロトタイプ L-9

20
2017

『ゴジラ』(昭和59年版)

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。

1975年春の『メカゴジラの逆襲』を以って、『ゴジラ』シリーズは一旦終止符を打ちました。

75年『ジョーズ』
76年『キング・コング』
78年『スター・ウォーズ』
79年『エイリアン』
80年『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』
81年『レイダース 失われた聖櫃』
82年『ブレード・ランナー』
83年『ダーク・クリスタル』
84年『ターミネーター』

それから9年。
思いつくまま挙げてみただけでも、その間にはこれだけのアメリカ特撮(SFX)映画がありました。
アイデア、ストーリー、映像表現の面白さや斬新さ。
どれをとっても「それまで見たことない世界」であり、たとえ低予算であっても撮り方や編集の工夫で面白さの追求を諦めることがありません。
そんな作品群に接して目が肥えてきた日本の観客に対し、東宝が再び『ゴジラ』を世に放ちます。

『ゴジラ』(昭和59年版)
1984 ゴジラ

<あらすじ>
東都日報の記者牧吾郎は、休暇中ヨットに乗っていたところ遭難した第五八幡丸を発見。
救助した唯一人の生存者奥村宏の話から、遭難の原因は昭和29年に日本を襲ったゴジラであることが判明した。
政府はパニックを恐れて報道管制を敷いたものの、ソ連の原子力潜水艦が何者かに襲われ撃沈される事件が起こる。
誤解から対立を深めるアメリカとソ連を抑制し、かつ早期対応を図るため政府はゴジラの存在を公表した。
やがて、静岡県井浜原子力発電所にゴジラが出現し原子炉から大量の放射線を吸収していった。
生物物理学者の林田教授はゴジラが渡り鳥の鳴き声に強く反応していたことから、ゴジラの帰巣本能を利用して火山の噴火口に追い落とす作戦を立案する。
一方、アメリカとソ連は対ゴジラ兵器として戦略核兵器を東京で使わせろと三田村総理に迫っていたが、三田村は「非核三原則の順守」を盾にこれを断固拒否する。
そして遂に東京にゴジラが上陸した。
自衛隊はカドミウム弾を撃ち込んでゴジラの核反応を抑制する作戦を開始。
林田教授たちのゴジラをおびき寄せる音の周波数の研究も完成に近づきつつあった。
しかしそんな中、不慮の事故によりソ連の核ミサイルがゴジラに向けて発射されてしまう。

1984 ゴジラ生頼
84年版『ゴジラ』は、『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』までの14作品を「無かったこと」にして、昭和29年のゴジラ上陸から30年後ふたたび(2匹目が)出現したという思い切った設定リセットを行っています。
敵対する他の怪獣は登場せず、一匹の巨大怪獣に人間がどう立ち向かうかというシンプルな物語。
登場人物は総理大臣をはじめとする政府閣僚たち、長年ゴジラを研究してきた生物学者、そして狂言回し的存在の新聞記者とゴジラの最初の目撃者である青年とその妹といった面々です。

こうして改めて見ると、昨年の『シン・ゴジラ』に繋がる要素がひととおり揃っていますね。
ゴジラの動きを止めるのにカドミウムを打ち込みますが、これも『シン・ゴジラ』の血液凝固剤の元ネタのように思えます。

1984 ゴジラ 歴代マキ・ゴロー
また、本作の民間人サイドの主人公の名前が”牧吾郎”でした。
ちなみに『ゴジラの息子』で久保明さんが演じていたルポライターも漢字違いの真城伍郎であり、「マキ・ゴロウ」という名前はよほどゴジラと相性が良いようです。

【1984年12月】
公開初日に大学の友達数人と観に行きました。
当時は入れ替え制ではなく一日中映画館に居座ることも出来たので、「最低でも2回は観るぞ!」と早朝から息巻いて映画館へ入って行ったのを憶えています。
しかし・・・。
期待に胸ときめかせて劇場入りしたものの、その2時間後には口をへの字にして腕組みしたまま出てきてしまいました。

何かが違う!
怪獣映画なのにまるで血沸き肉踊らないのです。
テーマ性が前面に打ち出されていた昭和29年版の『ゴジラ』も、中盤では問答無用のゴジラ襲撃シーンが20分以上に渡って繰り広げられていました。
幼い頃に初めて観た『ゴジラ対へドラ』のほうがよっぽど怖くて子供心にも社会不安を感じ取ることが出来ましたし、単純に映画としてなら『ゴジラ対メカゴジラ』のほうがよっぽど面白かった、と心底思いました。

1984 ゴジラ 自衛隊を一掃
真面目に作られているのはよく分かります。
ゴジラという得体の知れない巨大生物が現われて、無慈悲に東京の街を焼き払い蹂躙していく。
人間の持つ兵器は役に立たず成す術もないが、それでも動物としての本能を利用してなんとか撃退する。
そんな現代を舞台とする第一作のようなストイックな『ゴジラ』。
熱望してやまなかった映画が実現したはずなのに全然満足出来ないのです。

1984 ゴジラ 鉄矢とゴジラ
この時は、例の武田鉄矢の悪ふざけが過ぎて緊迫感をぶち壊しにしたせいだと思っていました。
特撮場面にしても「円谷のお家芸にこだわっている限り、所詮アメリカのSFXには太刀打ちできない」と失望を隠せませんでした。

【再編集】
前々作『ゴジラ対メカゴジラ』を観ていた時に、ベルベラ・リーンの歌が長すぎて映画の流れを損ねていると感じたことから、あの歌のシーンを丸ごとカットしてみたことがあります。
映画のリズムを狂わせストーリー進行のブレーキになっていたシーンを削除することで、クライマックスへの突入がスムーズになり本当に何度見ても楽しめる作品になったと思います。
それにならって今回『84ゴジラ』の気になる部分、気に食わない部分を可能な限り再編集してみることにしました。

削除その1、第五八幡丸のミイラ
1984 ゴジラ ミイラ 1984 ゴジラ 通信士
ハチマキの柄から見て、このミイラの主は第五八幡丸の通信士のようです。
生きてる姿を演じていたのは『メカゴジラの逆襲』の時にも紹介した加藤茂雄さんですが、当時俳優業と漁師を掛け持ちしていたという加藤さんにはまさに適役です。
ただ、このミイラの造形がまるで紙粘土で作ったみたいな雑な代物で、その見せ方も椅子に座っている後姿を振り向かせると死体だったといういかにも旧態然とした演出で処理されています。
後で出てくる巨大フナムシ(ショッキラス)も大概ですが、映画が始まって早々にこんなお粗末な代物を見せられては気持ちが萎えるというものです。

私たち観客はこの時すでに『エイリアン』のフェイスハガーを見てしまっているのです。
『メカゴジラの逆襲』までのように脳内補完しながら楽しむことはもう不可能で、造形や見せ方にはもっと工夫を凝らして欲しかったものです。

編集1 ミイラをカット
この通信室のシーンの削除は比較的容易です。

編集1 イン点 編集1 最終
牧が階下に降りてくるカット。
ライトを左の通信室へ向ける直前にIN点を打ちます。
そして次の部屋へ向かうまで,、この間約43秒。

編集1 削除
削除!。
これで、映画の初っ端からお粗末な造り物を見ないで済みます。
しかし、ここで予め牧に変死体を見せておかないと次の場面で異様な死体がゴロゴロしているのに牧が驚かないという不製脈が生じてしまうのも確かです。
ここは理屈を取るか没入感を取るかで決めても良いかと思います。


削除その2、新幹線
1984 ゴジラ 新幹線! 1984 ゴジラ ムッシュ
ゴジラの足元めがけて新幹線が突っ込んできてしまう。
あわててブレーキをかける運転士。
阿鼻叫喚に陥る乗客たち。
・・・いやいや、1984年ともなれば新幹線はおろか在来線だってコンピューター制御で運用管理されてる筈ですから、ずっと前の地点で自動停止しているはずです。
54年版の『ゴジラ』や33年の『キング・コング』へのオマージュなのでしょうが、ほとんどの観客から失笑を買った場面でした。
更にその新幹線車内で、神父姿のムッシュかまやつが何故かヘラヘラと笑っていたことから失笑が嘲笑に変わっていきます・・・。
この新幹線のシークエンスは編集でまるごとカットしてしまうことが可能です。

編集2 イン点 編集2 アウト
新幹線が走ってくるカットから、ゴジラが手に持った車両を投げ捨てて歩き出すまでの約1分02秒。
実はこの間、うっすらと音楽が鳴っていてブツ切り状態になるのですが、S.Eにかき消されて全く気になりません。


削除その3、武田鉄矢関連
1984 ゴジラ 武田鉄矢
ゴジラ出現の騒ぎに紛れて一流ホテルで豪華な食事を目論むホームレス。
当時「3年B組金八先生」で人気だった武田鉄矢が特別出演しています。
プロデューサーや東宝上層部の意向だったのかもしれませんが、それにしても場の空気を壊すことはなはだしいキャラクターです。

ストイックなこの映画で唯一笑いを取ろうとしている場面ではありますが、作品の雰囲気と乖離しすぎていて全く別の種類の笑いになっています。
ギャグとユーモアは全くの別物だということを理解していないのでしょう。

しかし、橋本監督も本当はこのシーンに違和感を感じておられたのではないでしょうか?。
そう思えるのは、彼の出番は編集できれいさっぱりカットしてしまうことが可能な作りになっているからです。

編集3 武田イン点 編集3 武田アウト
厨房で食材を漁る登場カットから、「でっかい顔して歩くんじゃねえ、この田舎もんが!」とへたり込むこのカットまでバッサリ切ってしまいましょう。
この間約55秒。
削除後は前後の繋がりもスムーズで、こんな場面が存在した痕跡さえ分からないほど綺麗に繋がります。

武田鉄矢はこの後にも登場して、牧と尚子がビルから脱出する時に手伝ってからしばらく行動を共にします。
やってみて驚いたのですが、この一連のシーンも本編の流れを全く損なうことなく削除することが可能です。

編集4 短イン点 編集4 短アウト
まずは崩れた階段のシークエンスそのものを無かったことにしてしまいます。
牧と尚子が降りてきて下を見るカットから、崩れた階段のカットまで。
わずか2カット7秒弱ですが、ここは音声処理が必要です。
音楽が鳴っている途中を切ることになるため、そのままカットすると音楽がブツ切りになってしまうのです。

編集4 クロスフェード 編集4 音声トラックに貼り付け
「オーディオ・クロスフェード」タグから「リニア」を選び接続点に貼り付けます。
これで音楽が徐々に消えていくのと同時に次のカットのヘリの音が立ち上がって自然なつながりになりました。

編集5 クリフハンガーイン点 編集5 クリフハンガーアウト
さらに牧が消化ホースを持って来るカットから、ホースを支えている武田のカットまでの約55秒間もカットします。

1984 ゴジラ 鉄矢 チャンスと思え
「災難と思うな、チャンスと思え!」
3人が脱出した後のこの辺のくだりもバッサリ切ってしまって問題ありません。

編集6 脱出後イン点 編集6 脱出後アウト
ビルから出てきたこのカットから、武田が気を失うこのカットまで1分25秒を削除。

1984 ゴジラ 武田鉄矢 メインクレジット
これで『ゴジラ』(昭和59年版)から武田鉄矢の姿を一掃することが出来ました。
でも残念ながらオープニング・クレジットやエンドロールの名前だけは消せません。

編集7 元の尺 編集7 短縮
ここで示したカットポイントを全て削除すると、総尺1時間43分20秒18フレームから1時間38分13秒08フレームと5分短くなっています。

余計な箇所をそぎ落としたうえで改めて見直すと、ゴジラ襲来という仮想の出来事をストイックにシミュレートしようとした作品であることが明確になります。
しかし、リアリティに凝り固まってエンターティメント部分が置き去りにされてしまい、結果として武田鉄矢のシーンが悪目立ちしていたようです。

1984 ゴジラ 数少ない見せ場
合間に差し挟まれていた新幹線や武田鉄矢関連のシーンを削除すると、驚くほどゴジラに見せ場が無い映画であることが分かります。
ゴジラが自発的に”攻撃”をしたのは上陸時の突堤を放射火炎で一掃した時と、スーパーX戦でビルに大穴を開けるほどの熱線を吐いた時くらいです。
高速道路の炎上は墜落したヘリによる誘爆に過ぎず、有楽町のビルに至っては地下道に足を踏み抜いてよろけてぶつかっただけという、なんとも拍子抜けさせてくれるゴジラです。

1984 ゴジラ 鉄矢
「この田舎もん!新宿歩けば都会人だと思ってんだろ」
当時の私も福井から大阪に出てきて間もない「田舎者」だったせいか、この地方出身者を蔑視するような差別的セリフを聞いたときは不愉快でなりませんでした。
私がこのキャラクターを毛嫌いする理由の一つでもあります。

しかし、このシーンを削除したうえで改めて観返してみると、『ゴジラ』(昭和59年版)のゴジラ像を最も端的に言い表していたのはこのセリフだったように思えてきます。
自分より巨大なビル群の中で右往左往するばかりといったゴジラの姿は、確かに都会で戸惑い粋がろうと躍起になって周囲に迷惑をかけてしまう地方出身者そのものでした。
まさかそんな風刺を込めた映画ではないでしょうが、少しこの映画の見え方が変わってきました。

その他
あと、編集ではどうすることも出来ないがやはり気になる部分をいくつか。

1、沢口靖子の学芸会レベルの演技
1984 ゴジラ 現:科捜研の女
こればっかりは撮り直してもらうしかありませんね(笑)
編集でどうこう出来る問題ではないです。
でも不思議なもので、何度か見ているうちに慣れてきます。
沢口靖子は今ではすっかり「科捜研の女」ですが、この頃は健気でポッチャリしていて可愛かったです。

2、実景と合成したゴジラのサイズが滅茶苦茶
1984 ゴジラ サイズ変
実景との合成シーンにおいてゴジラと建物とのサイズ差の整合がとれていません。
ゴジラがまるで山のように超巨大に見えて、下半身は地面にめり込んでいるかのようです。
9年前の『メカゴジラの逆襲』でも同様のミスショットがありましたが、実は5年後の『ゴジラvsビオランテ』にも存在しています。
こうした大掛かりな怪獣特撮映画を作る機会が少なかったために、技術研究が進まなかったのだろうかとさえ考えてしまいます。

3、奥村兄の宙づりアクション
1984 ゴジラ 自衛隊の仕事
ビル最上階に取り残された林田教授・牧・尚子の元に自衛隊ヘリに乗ってやってきた奥村。
水先案内人ということで奥村がヘリに乗っているのは分かります。
しかし、あの乱気流の中で民間人である奥村がヘルメットも被らず宙づりになって妹たちのいる窓に近づく危険な役目をするのはどう考えても変です。
それはヘリに同乗していた自衛隊員の仕事でしょう。
事件に関係した一般人の主要人物を、自衛隊や警察を差し置いて無闇に活躍させてしまうのは東宝特撮映画の悪癖です。

4、スーパーXへの違和感
1984 ゴジラ スーパーX
総理大臣への報告会議シーンにおいてスーパーXは名のみ語られます。
しかし、その実物が姿を見せるのは中盤以降。
そのデザインの非現実感もあいまって、ヒーローメカの如く突然颯爽と現れたという印象が否めません。
閣僚たちが整備中のスーパーXを視察するとか、報告時にスーパーXの映像を見せるといった視覚面での伏線がありませんでした。
それと、ゴジラの足元に一般市民が逃げ惑っているのに、全くお構いなしに攻撃を開始するのはいかがなものかと思います。
 
【平成シリーズの土台として】
1984 ゴジラ 断末魔と総理
新時代の『ゴジラ』を作ろうと意気込んだ作品でありながら、その制作意識は旧昭和シリーズ時代のままだったことがその足を引っ張っていたと考えます。

旧態然とした演出技法。
演技力未知数の新人女優の起用。
一般人キャラクターが特別待遇されすぎる脚本。
”スーパーX”という作品世界にそぐわないデザインとネーミング。
時の人気タレントを集めた顔見せ興行。

1984 ゴジラ 総理の涙
本当に残念で勿体ない企画でした。
しかし本作品には、後のVSシリーズの監督になる大河原孝夫氏や山下賢章氏が助監督として参加しています。
そして『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督もこの作品への参加がキャリアのスタートになっているのです。
内容面以外でも、この映画が後の平成シリーズの土台になっていることは間違いありません。


最後までお付き合いいただきありがとうございjました。
次回の『ゴジラ』は、本作の続編にあたる『ゴジラvsビオランテ』です。
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2017

週刊映画鑑賞記(2017.4/10~2017.4/16)

トガジンです。
毎週日曜の夜は、この一週間に観た映画の感想をまとめて書き連ねています。

4/10(月)
映画鑑賞無し

と、のっけからコレでは味気ないですから・・・

吉野瀬川 桜

吉野瀬川

吉野瀬川 桜並木
この日取材で初めて伺った、越前市吉野瀬川の桜並木です。
桜の花が頭のすぐ上まで垂れ下がっていて花の密度感が高く、大人も子供も上機嫌でインタビュー撮りがはかどりました(笑)。
他にも、今まで知らなかった桜スポットを知ることが出来て仕事とはいえ楽しい一日でありました。

4/11(火)
『攻殻機動隊 新劇場版』🈠
(ホームシアター:WOWOW録画)
攻殻機動隊新劇場版
公開当時は声優さんが総入れ替えされていることに拒否反応があって完全スルーしていたシリーズです。
ハリウッド版『ゴースト・イン・ザ・シェル』の前に、先日WOWOWで一挙放映されたものを観てしまうことにしました。
この劇場版に至るまでに約1時間づつのビデオシリーズが5話分あってその最終回という位置づけです。
ビデオシリーズ『攻殻機動隊ARISE』もこの日までに毎日一本づつ消化していました。

原作漫画やテレビシリーズの『攻殻機動隊S.A.C.』よりも、押井守監督の『攻殻機動隊』『イノセンス』に近いアプローチになっていると感じました。
その境目は、登場人物のサイボーグ感というか非生身感というか、生気の無い目の表現にあります。

<原作>
草薙素子(原作版)

<押井版>
素子(押井版)

<S.A.C.>
素子(テレビシリーズ 版)

<ARISE>
素子(ARISE版)

士郎正宗氏の原作漫画における草薙素子は可愛らしい美少女風でした。
対して押井守監督作品や今回の最新版アニメの素子は、死の危険に直面しても瞬き一つしない鉄面皮を通していました。
『S.A.C.』の素子は全身サイボーグでありながら肉感的で色気も感じさせ、時には笑顔や怒りの表情も見せる”女性”キャラクターでした。
どちらが作品世界を体現し得ているか、キャラクターとしてどちらが魅力的か、の2つの選択肢です。

さて、『ゴースト・イン・ザ・シェル』スカーレット・ヨハンソン版の草薙素子はどうなのでしょうか。
予告編を観た限りでは、機械の身体にくっついた生身の首が喋っているような違和感を感じましたが・・・。


4/12(水)
『インフェルノ』🈠
(ホームシアター:レンタルBlu-ray)
インフェルノ
『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のフェリシティ・ジョーンズが出ているということで借りて観たのですが・・・。

しまったぁぁ!。
主人公トム・ハンクスを助けて活躍するヒロインと思いきや、その正体がなんと!?。
『スター・ウォーズ』ファンとして感涙極まった『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』。
そのブルーレイ発売が近いこの時期に、ジン・アーソのイメージを壊してしまうような作品を観てしまいました。
不覚!。

4/13(木)
映画鑑賞無し

4/14(金)
『大怪獣モノ』🈠
(ホームシアター:レンタルDVD)
大怪獣モノ
昨年劇場で観るチャンスを逸して悔やんでいたこの映画をレンタルしました。

巷で怪獣映画が卑下されていた時代にも、ハリウッド版『ゴジラ』や『シン・ゴジラ』が話題になった現在も、全くブレることなくB級怪獣映画を作り続けてきた河崎カントク。
その御姿は、かつて「8mmで怪獣映画作るぞー」と息巻いていた大学時代の自分に重なります。
早朝の天王寺駅前で、サンルーフ付きの車に段ボールで作った戦車をかぶせて、自衛隊員の恰好で天井から上半身を乗り出して「撃て―」とか「退避ー」とか怒鳴ったりしていました。
結局予算が無くて怪獣のシーンはビデオで作ったニュース映像として見せるにとどまり、東京が被災する様を大阪の人間が「ザマーミロ」と傍観するという短編映画に作り変えるしかありませんでしたが、警察の目を盗んで(間違いなく道交法違反)決行したゲリラ撮影の思い出が甦ります。

大怪獣モノ 飯伏幸太対怪獣 大怪獣モノ 鈴木みのる化
内容は、ひ弱な青年がマッド・サイエンティストが開発した万能細胞・セタップXで巨大ヒーロー化して怪獣モノと戦う、というもの。
変身・巨大化した姿というのが、実在のプロレスラー飯伏幸太そのもので、更に非情に徹するために”悪の遺伝子”を注入すると悪役レスラー鈴木みのるになってしまいます。
酒の宴で思いつきそうなストーリーですが、実行してしまう河崎実監督とこれをすんなり楽しめてしまう自分が誇らしいです(笑)。

大怪獣モノ 嗚呼、ゲン・・・
でも、これだけは言っておきたい。

世の中には断るべき仕事ってあると思うんですよ、真夏竜さん。
仮にも貴方はおおとりゲン=ウルトラマンレオだった人なのですから・・・。

4/15(土)
映画鑑賞無し

4/16(日)
『ゴジラ』(昭和59年版)
(ホームシアター:WOWOW録画)
1984 ゴジラ『ゴジラ』
我が家の編集ソフト、EDIUSが大活躍しました。
無駄な有名タレント客演部分や設定上滑稽でしかない新幹線襲撃シーンを削ぎ落し、再編不可能なスーパーXの存在は脳内補完しながら観直すと、この84年版『ゴジラ』は意外と志高くテーマ性の深い作品だったことが分かります。
このレビューは来週中にアップします。

今回観たのは、数週間前に自分で編集した短縮版ですが、時間を空けて観たせいかそれほど違和感なく観ることが出来ました。
『スター・ウォーズ』を独自の再編集でテンポアップして楽しんでいる強者がいると聞きますが、その気持ちが分かったような気がしました。


今週もお付き合いいただきありがとうございました。
11
2017

『メカゴジラの逆襲』

CATEGORY『ゴジラ』
トガジンです。

前作『ゴジラ対メカゴジラ』のレビューからずいぶん間が空いてしまいました。
ゴジラシリーズ15作目にして、昭和シリーズの最終作『メカゴジラの逆襲』です。
しかし、ポスターには「メカゴジラシリーズ第2弾」と謳われていたりして少々寂しい終幕でもありました。

メカゴジラの逆襲
1975 メカゴジラの逆襲

<あらすじ>
メカゴジラの残骸を調査していた潜水艦「あかつき号」が謎の恐龍に襲われて消息を絶った。
それは、15年前に「自らが発見した恐龍を、自由にコントロールしてみせる」として学会から追放され、人間社会からも迫害された真船信三博士が操るチタノザウルスだった。
海洋学者の一之瀬は真船博士の娘・桂と接触を持つが、彼女は一度死んだ人間でありブラックホール第3惑星人によって蘇生させられたサイボーグだった。
ブラックホール第3惑星人は、真船博士と手を組みメカゴジラを修復しつつあったのだ。
真船博士の研究に感銘を受けた一之瀬と桂の間には恋愛感情が芽生えていくが、遅すぎた理解者と社会からも迫害された研究者の娘の出会いが新たな災いの火種となることを、当の2人は知る由も無かった。

【1975年春】
前年まで休みのたびに観に行っていた『ゴジラ』映画でしたが、この映画は「東宝チャンピオンまつり」公開当時に観ることは出来ませんでした。
1975年の3月、休みの度に私たち兄妹を映画に連れて行ってくれていた祖母が母の運転する車に同乗していて交通事故に遭い重傷を負って入院してしまったのです。
祖母ほどではないにせよ母も大怪我をしていたため、当時小学四年生だった私と三歳下の妹は隣町の親戚の家に預けられることになり、「映画を観に行きたい」などと悠長なことを言える立場ではなくなっていました。
祖母は夏頃には退院したものの左足に後遺症が残ってしまい、私たち兄妹を映画に連れて行ってくれることはなくなってしまいました。

【初鑑賞】
1983年の「ゴジラ復活フェスティバル」にもこの作品はラインナップされていなくて、その存在自体を忘れていたように思います。
大学生になって初めて、この作品が本多猪四郎監督の作品だったことを知り無性に観たくなりました。
観ることが出来たのは『ゴジラ(昭和59年版)』公開より数年後、大学三年の夏頃だったと思います。
大学の同級生がこの映画のレーザーディスクを持っているとのことで、それを貸りて観たのが最初でした。

前作『ゴジラ対メカゴジラ』までの数本は公開当時にリアルタイム(短縮版も含む)で観ていました。
そのため、幼い頃に受けた衝撃や大画面で見る怪獣のカッコ良さといったものをストレートに受け止めて全身全霊で熱中したという記憶が残っています。
前作までのレビューでは、現在の目線に基づく分析・考察よりも、子供の頃に感じた(刷り込まれたとも言う)興奮の表現の方が勝っていてレビューとしては非常に偏ったものになっていました。
それを「思い出補正」と嘲う者もいますが、そうは思っていません。
映画初体験だった『ゴジラ対へドラ』は言うに及ばず、駄作のレッテルを貼られて久しい『ゴジラ対メガロ』でさえジェット・ジャガーの中に近未来エレクトロニクスのカッコ良さを見ていたのは事実だったのです。

ところが、この『メカゴジラの逆襲』に関してはそういった原体験が全く無いうえに、20インチほどのTVモニターでの鑑賞だったせいか最初から大人目線で分析的に観てしまっていました。
子供の頃のように素直に楽しむことはもはや望めず、まるでアラ探しでもするかのような不幸な初鑑賞になってしまいました。
大の大人が子供たちのために本気で作ってくれた映画を、その年代の頃に受け取ることが出来なかったことは本当に残念です。

【最後の本多猪四郎監督作品】
メカゴジラの逆襲 サイボーグでも君を・・・ メカゴジラの逆襲 乙女心
『メカゴジラの逆襲』と銘打ちながらも、実質は真船博士の復讐の物語であり、その娘・桂と一ノ瀬の悲恋話でありました。
特撮映画の名手と謳われた本多猪四郎監督ですが元々は恋愛映画を撮りたかった方だそうで、女性脚本家の繊細な感性もあってか『ゴジラ』シリーズ唯一にして上質なラブストーリーに仕上がっています。
特に、桂がサイボーグ化された我が身を恥じて内部の機械が見える傷口をそっと隠そうとする仕草がいじらしくてたまりません。
正直言って演技はお世辞にも上手とは言えない新人の藍とも子さんですが、このシーンだけは切なさが伝わって良かったです。

メカゴジラの逆襲 本多監督ならではの避難誘導 メカゴジラの逆襲 自衛隊防戦
過去の作品レビューでも繰り返し書いてきましたが、本多監督の怪獣映画には必ず存在するシーンがあります。
それは、住民が着のみ着のまま避難する光景であり、それを誘導・補助する警察官や自衛隊員が職務を果たそうとする姿です。
東宝チャンピオンまつりの一本であるこの『メカゴジラの逆襲』も例外ではなく、大勢の人々が生活の場を追われていく姿を描くことでこの破天荒な物語にリアリティを与えています。
また、『ゴジラ対メガロ』までは過去のフィルム流用ばかりだった自衛隊の防戦シーンも新撮されています。
チタノザウルスの脳波コントロールを断ち切るための装置を積んで現場に向かう乗り物も、SY-3やスーパーXのような架空の超兵器ではなく現実的なヘリコプターで行っており、地に足のついた現実的な設定で映画を成立させています。

メカゴジラの逆襲 ゴジラ助けて! メカゴジラの逆襲 ゴジラ再び
そうかと思えば、「ゴジラ、助けて!」という子供の声に応えるかのようにおもむろに登場するなど、ゴジラが完全に人間の味方として描かれている作品でもあります。
その出現は、まるで光と共にウルトラマンが出現したような千両役者ぶりで、これはもうヒーローの登場シーンそのものです。

本多猪四郎監督はゴジラを人間の味方として方向転換した理由をこう述べています。
昭和29年の『ゴジラ』第一作から『モスラ対ゴジラ』に至るまでは、ゴジラは人間にとって畏怖の対象として描かれていました。
ゴジラは人間の核実験によって被曝して安住の地を追い出され、結果として文明社会の破壊者となった存在です。
しかし世の中が変化していくにつれて、「好きで暴れているわけじゃないのに攻撃されて可哀そうだ」という観客のリアクションが寄せられるようになりました。
そうした観客の声がゴジラのスタンスを変えてさせたのです。
まず、『三大怪獣地球最大の決戦』ではゴジラと人間にとって共通の敵である宇宙怪獣を登場させることによって共存の可能性を示しました。
やがて『ゴジラの息子』では子どものミニラも登場して、人間と同じ情愛を持つ生物という印象を持つに至ります。
もはや人間がゴジラを攻撃する理由は(異星人に操られた場合を除いて)無くなり、「文明の破壊者」から「守護者」へと方向転換させたのです。
これは日本史で例えるなら平将門や菅原道真みたいなものではないでしょうか。
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』に「殺した相手を神様に祭り上げるのが日本」というセリフがありましたが、まさにゴジラシリーズそのものがその経緯を辿っていました。

『ゴジラ対メガロ』や『流星人間ゾーン』で一度は完全に人間の味方として描かれたゴジラではありましたが、この『メカゴジラの逆襲』では科学技術の盲進に対する警鐘を盛り込むなど原点回帰を図ろうとしているように感じます。
しかし一度染み付いたイメージを払拭するには、ある程度の休止期間をおいて設定をリセットするしかないことに制作者たちも気付いていたはずです。

【特撮シーン】
本編サイドの描写は見応えあるものでしたが、怪獣絡みの特撮シーンはややお粗末な部分が目立ちます。

メカゴジラの逆襲 3匹のフォルムが同じ
まず、登場する怪獣が3頭とも同じ二足歩行の恐竜タイプで、キャラクターが完全に被ってしまってバリエーションが乏しいことが気になります。
チタノザウルスはゴジラとの初戦で敗れて退場させて、桂の持つコントロール機能はメカゴジラⅡに集約させてゴジラとの一騎打ちにしてしまえばいいのに・・・などと素人ながらに考えたものです。

メカゴジラの逆襲 背後の怪獣の絵
あるいは、チタノザウルスを別の形状の怪獣にすれば、もう少し戦闘のバリエーションが広がったかも知れません。
過去の真船博士の背後にチタノザウルスの他にガメラみたいな怪獣の絵が貼ってありましたが、そちらを採用したほうが絵的な面白さは上がったように思います。

それと、これは次回作『ゴジラ(昭和59年版)』でも気になった部分ですが、怪獣と実景との合成における縮尺比がデタラメです。

メカゴジラの逆襲 合成シーンの縮尺が凄く変 メカゴジラの逆襲 合成シーンの縮尺が変
いくらなんでもデカすぎますね(笑)。
下半身が地面に埋まっているみたいです。
中野特技監督のセンスの問題?・・・とは言いたくありませんが、作品のリアリティを削ぐ映像面での欠点であるのは確かです。
こういった合成技法はこの作品から始まっていることから、まだ撮影ノウハウが確立していなかったのかも知れません。

【俳優さんたち】
昭和45年に東宝の俳優専属システムが崩壊して以降、東宝映画からは「いつもの顔ぶれ」が居なくなりすっかり雰囲気が変わってしまった時期がありました。
それはさながら、同じオフィスでありながらリストラや人事異動で知らない人ばかりになってしまった職場のようです。
適材適所に配置されていた独特のキャラクターも、気心の知れた俳優さん同士による阿吽の呼吸も失われ、東宝映画のカラーそのものが希薄化していました。
しかし、前作の『ゴジラ対メカゴジラ』から再びかつての常連俳優たちが顔を見せてくれるようになってきています。

メカゴジラの逆襲 平田昭彦 『ゴジラ』より 芹沢博士
本作の影の主人公である真船博士を演じるのは、『ゴジラ』一作目でやはり影の主人公であった芹沢博士を演じた平田昭彦さんです。
自分を追放し、妻や娘にも苦労をさせた存在である学会に復讐するため、チタノザウルスを操って自論を証明することに固執するマッドサイエンティストです。
『ウルトラマン』のジラースと二階堂教授の関係にも似ていて、現在では『シン・ゴジラ』の牧吾郎を思い起こさせる設定です。

平田さんは、前作『ゴジラ対メカゴジラ』で睦五郎(この人もメカゴジラシリーズ連続出演)率いるブラックホール第3惑星人たちに娘を人質に取られて仕方なく協力する科学者役を演じていました。
その直接の続編である『メカゴジラの逆襲』であえて平田さんに正反対の役を配役しているわけですが、これがシリーズ最後ということを見越して本多監督や田中プロデューサーが意図したキャスティングなのかその意図は今はもう判りません。

しかし結果として昭和ゴジラ最終作となった本作には平田さんをはじめとして東宝特撮や本多監督に縁の深い俳優さんが多数出演しておられるのも確かです。

メカゴジラの逆襲 中丸忠雄(デビュー作は本多猪四郎監督作品) 『電送人間』より 中丸忠雄
国際警察署長役の中丸忠雄さんは1960年の『電送人間』(福田純監督作品)で主役を務めた方ですが、コメンタリーを聞くと特撮に対しては当時あまり良い印象を持っていらっしゃらなかったようです。
しかし、中丸氏のデビュー作が本多監督の『別れの茶摘歌姉妹編 お姉さんと呼んだ人』であったことを考えると、ゴジラシリーズの幕引きに指揮官的な重要な役柄で出演されていることには何か因縁めいたものを感じてしまいます。

メカゴジラの逆襲 佐原健二
東宝特撮の常連である佐原健二さんもご出演です。
佐原さんは『空の大怪獣ラドン』の主役や『モスラ対ゴジラ』の悪徳興行師、そして『ウルトラQ』の万城目淳など我々特撮ファンにはとてもなじみ深い俳優さんですが、実は昭和29年の『ゴジラ』第一作目にも1カットだけ出演されていたことが分かりました。

『ゴジラ』より 佐原健二
この場面です。
佐原さんがまだ研修生だった頃にノン・クレジットで駆り出されたそうです。
遊覧船で浮かれているチャラい男の役で、戦後の日本に増えつつあったであろう「戦争も核の恐怖も昔の話、全くの他人事」といった感じの若者像です。
戦争を過去のものにしつつあった日本と日本人に対して牙を剥いた初代ゴジラを、「太平洋戦争の英霊」と捉える説はこうしたシーンの存在があってのものだと思います。
また、この青年が『モスラ対ゴジラ』の興行師・虎畑二郎の若い頃の姿と考えてみるのも面白いかも知れません。

『ゴジラ』より 東静子(電車) 『ゴジラ』より 東静子(船上)
「広島の原爆から生き残った大事な身体だもの・・・」
同じく『ゴジラ』(昭和29年)で印象的なセリフを言っていたこの女優さんは、その後も様々な特撮映画にチョイ役で多数出ておられた東静子さんです
芸名の「東」は東宝の「東」と「宝」を宝田明さんと分け合ってつけられた名前だそうで、東宝ニューフェイスとして将来を嘱望されていた女優さんだったようです。

メカゴジラの逆襲 東静子と小川安三
『メカゴジラの逆襲』ではこんなところに出ていらっしゃいました。
地元漁師の奥さん役で、1カットだけですがちゃんとセリフもあります。

俳優専属システム崩壊後、東宝を離れた俳優さんたちの中には他の劇団やプロダクションに移るなりして俳優を続ける人もあれば、引退して他の職業に就いた人もいらっしゃったようです。
この『メカゴジラの逆襲』では、そうしたかつての専属俳優たちをあえて呼び集めている印象があります。

メカゴジラの逆襲 加藤茂雄さん(中央)
例えばこちらの加藤茂雄さん(画面中央)もそのお一人です。
この方は東宝を去ったあとも、地元で漁師をしながら時々俳優業にも顔を出すいう活動をしていました。

『ゴジラ対へドラ』より 加藤茂雄さん 『ゴジラxメガギラス』より 加藤茂雄さん
私の映画初体験作品である『ゴジラ対へドラ』で、記憶に刷り込まれている怖い場面の一つに加藤さんの姿がありました。
工事中の高層ビルの上で飛来体のへドラに遭遇し、身を守る術も逃げ場も無くただ絶叫して転落死していく鳶の役でした。
たった1カットだけでしたが、初めて見た映画で受けた恐怖は忘れることはありません。
その後も加藤さんの姿を画面内に見つけた時には、「ビルから落ちた人や!」と反応していたものでした。

2000年の『ゴジラxメガギラス』で、やはり1カットだけでしたがGグラスパー本部の老警備員役として満面の笑顔で隊員の帰りを迎える加藤さんを見た時はうれしかったものです。
東宝生え抜きの監督であり、人一倍ゴジラ好きだという手塚昌明監督の粋なキャスティングに心から拍手を送ってしまいました。
過去の東宝特撮を知らない人が見たら「このおっちゃんの敬礼を1ショットでガッツリ見せる必然がどこにあるのか?」と、さぞ怪訝に思うことでしょうがそんなことはどーでも良いのです。

そして忘れてはならないのがこの方です。
『地球最大の決戦』より 沢村いき雄さん
沢村いき雄さん。
素っ頓狂な声と人懐っこく表情豊かな演技で、この人が画面に出てきてくれるだけで空気が和みます。
黒澤明監督の『天国と地獄』では、江ノ電の音の違いを全身を使って解説する運転手役が最高でした。
怪獣映画では『サンダ対ガイラ』で文字通り「船からころがり落ちた」漁師が面白かったです。
ゴジラ作品では『怪獣総進撃』で宇宙船や月基地の話を当たり前に喋っていた農家のオヤジ役が何とも味があって大好きです。
しかしその沢村さんも、東宝俳優専属システム崩壊以後は出演作がほとんど見当たりません。
テレビドラマの出演はいくつかあったようですが、劇場用映画としてはこの『メカゴジラの逆襲』が沢村いき雄さんの遺作ということになります。

メカゴジラの逆襲 沢村いき雄さんの遺作(映画)
『メカゴジラの逆襲』ではそれまでの沢村さんには見られなかった無口で不気味な老人という役柄でした。
沢村さんはこの映画公開の半年後にお亡くなりになっていますが、もしかしたらこの撮影当時にはお身体の具合が悪かったのかも知れません。
往年の陽気な沢村いき雄さんが見られなかったのは残念でしたが、それでも最後の最後まで俳優として観客を楽しませてくれた役者魂に敬意を表します。


【ゴジラ去りし後】
『ジョーズ』より 初の洋画(字幕)
昭和50年というのは、私にとって字幕付きの洋画を初めて体験した年でもあります。
それがこのスティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』でした。
怪獣ほど巨大ではありませんが、逃げ場の無い海上で人を襲う巨大ホオジロザメの恐ろしさは、海辺の街に住んでいた小学生にはトラウマものでした。
そういえば、あのホオジロザメも最期は怪獣の鳴き声のような断末魔の声をあげながら沈んでいましたっけ。

映画館デビューが『ゴジラ対へドラ』で、最初の洋画が『ジョーズ』・・・。
私の映画人生はとことん偏りまくっております。


メカゴジラの逆襲 しばしお別れ
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
次のゴジラは『ゴジラ』(昭和59年版)、通称「84(ハチヨン)ゴジラ」になります。

Tag:メカゴジラの逆襲

09
2017

週刊映画鑑賞記(2017.4/3~2017.4/9)

トガジンです。

忙しい時期とはいえ、とうとう丸一週間更新出来ずじまいでした。
それでも毎日訪問して下さる方々がいてくれることに感謝いたします。

4/3(月)
『キングコング 髑髏島の巨神』(日本語吹替え版)🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)
キングコング 髑髏島の巨神

辛口レビューになっております。未見の方はご注意願います。

福井県では字幕版を上映してくれる映画館が無いため金沢へ遠征することも考えていましたが、仕事帰りに時間があったので辛抱たまらず吹替え版を観てしまいました。
主人公の吹き替えを担当したGACKTの声は、その人物の体格とは全く不釣り合いな線の細い声で明らかにミスキャストでした。
いい加減、吹替に有名タレントを起用するのはやめにしていただきたいものです。

キングコング 髑髏島の巨神 近い
内容的にもかなり不満の多い映画でした。
まず、ベトナム戦線から転進してきた精鋭ヘリコプター部隊がいかにもコングのやられ役といった扱われようでした。
無思慮にコングの間近や頭上に接近して行って次々撃墜されていくのです。
最初の不意打ちは仕方ないとしても、コングのリーチから距離を取って機関銃や上空からの爆弾投下などロングレンジ攻撃に切り替えるのが自然です。
『シン・ゴジラ』で自衛隊の理にかなった攻撃場面を見たばかりだったせいか、その稚拙さが余計気になって仕方がありません。
早めに飛行兵器を排除したいとする作り手の意図も見え見えで、アクションシーンとしては面白いものの興醒めでした。
また、このせいでサミュエル・ジャクソン演じる指揮官のコングへの復讐心とか執念といったものの根拠が希薄になり、彼がただの異常者にしか見えなくなったのも残念です。

キングコング 中華美人
また中国資本の影響でしょうが、全くストーリーに関係ない中華美人が終始画面に登場し続けて場の空気を壊しまくっていました。
他のメンバーが血みどろ泥まみれで生き延びようと必死になっているというのに、この女だけは顔も服もほとんど汚れることなく他人事のように涼しい顔で違和感が半端ありません。
中国人を出すなら出すで、もう少し密接にストーリーに絡ませる作りにするべきでした。

しかし、今回の『キングコング』の難点はそんな些細なことだけではありません。
一番の問題は、コングの巨大さが全然表現できていないということです。

例えば、中盤で女性カメラマンのすぐ近くにコングが近寄ってきて巨大水牛を助けるシーンがありましたが、彼女が見上げた次の瞬間いきなりコングのフル・ショットに切り替わってしまいます。
「違う、今見たいのはその画じゃない!」
と何度心の中で叫んだことか。
ここは、広角レンズでコングの足元から人間視線のアオリの絵を見せて欲しい場面です。
あれではサイズは表現出来ていても巨大さの実感は出来ません。

キングコング 髑髏島の巨神 サイズ
ゴジラ等と違ってコングは外見上巨大なゴリラでしかないため、そうしたケレン味のある映像を加えていかなければ非日常的巨大生物として観客に認識させるのは難しいと思います。
ジョーダン・ヴォート・ロバーツ監督は日本のアニメの大ファンという触れ込みでしたが、怪獣映画に関しては大事なことが分かっていらっしゃらなかったようです。
いずれはゴジラとの対戦やモスラやキングギドラもハリウッド映画化されるはずですが、『パシフィック・リム』や『ゴジラ2014』のように「分かってる」監督さんに手がけていただきたいものです。


あと、これは映画とは別のところで気になったことなのですが、どうしてエンドロールが流れ始めるとさっさと帰ってしまう人が多いんでしょうかね?。
長い長いエンドロールは確かに退屈かも知れませんが、あれは舞台で言えばカーテンコールみたいなものですからそこで席を立つのは失礼というものだと思います。
特に、この映画はエンドロール後に一番のお楽しみがあったというのに・・・。

4/4(火)
映画鑑賞無し

4/5(水)
『パッセンジャー』(3D版)🈠
(劇場:イオンシネマ・金沢フォーラス)
パッセンジャー

客入りが悪かったのか、福井のシネコンでは比較的早い時期に小さめのスクリーン部屋に移動させられてしまった作品です。
この日は仕事が急遽中止になって本当に久し振りの休みになったため、この『パッセンジャー』を大画面3Dで鑑賞するべく金沢まで遠征することにしました。

巨大な宇宙船内で、何かの事故でただ一人冷凍睡眠から目覚めてしまった男という着想は凄く面白いと感じました。
映像も今どきのSFXで、主人公を冷たく突き放す無機質な空間を表現していると思います。
(ただ、3Dで観る必要は無かったです。)
ラストシーンもハリウッド的意外などんでん返しによる解決ではなく、無情とも言える切ない結末でありながらもその後の彼らを夢想させてくれるような趣きのあるものになっていました。

ただ、観ている最中も観終わってからも何故かしっくりこないのです。
『2001年宇宙の旅』『ゼロ・グラビティ』『オデッセイ』などと並ぶリアル宇宙SFものとして期待していたのですが、序盤のクリス・プラットの焦燥や孤独感を身に沁みて感じ取ることが出来ずにいました。

その原因はなんとなく思い当たってはいるのですが、今はまだ考えが固まっておりません。
来週もう一回観てから単独でレビューを書いてみようと思っております。

4/6(木)
『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』🈠
(劇場:テアトルサンク)
チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~

私が福井県民でなかったら決して観ることはなかったであろう映画です。
この日はテアトルサンクさんのサービス・デーだったこともあり、仕事帰りに観てきました。

県立福井商業高校のチアリーダー部「JETS(ジェッツ)」が実際に成し遂げた快挙を元に作られた作品です。
当時全米制覇を果たした「ジェッツ」を取材させてもらったこともあり、さらに当時のメンバーの一人が現在出入り先の放送局に在籍していて一緒に仕事したこともあることから近親感が半端ありません。
ちなみにその子はエンドクレジットに当時の写真と名前が出ていましたが、エキストラ出演を趣味としながらもクレジットに名前が載ったことなど一度もない私にはとてつもなく羨ましいことでした(笑)。

主人公:ひかりのキャラクターがフワフワしていて「物語の牽引役として弱い」と感じたことや、動作にいちいち「ピコッ」というアニメみたいな効果音を付けるふざけたタッチの演出が鼻につくなどいくつかの不満点は確かにあります。
しかし、「地元のお話」「知り合いがモデル」という贔屓目もあってか結構面白くて良い映画だったと思います。

そして、良かった分だけ悔しい映画でもありました。

なぜならば。
我が福井県の物語(しかも実話)でありながら、この映画の撮影は新潟県で行われていたからです。
映画の冒頭で「福井県」とテロップ付きで現れた風景からして新潟の景色でした。
主人公たちが練習する校舎の屋上から見える風景も、学校帰りに歩く川沿いの道も、人知れず踊りの練習をした駅前も、どれもこれも私たち福井県民の知らない風景でした。
何故、どうしてこの映画を福井ロケで作らなかったのか?。
彼女たちが「絶対アメリカへ行ってやるでの~!」と福井弁で叫び、決勝の瞬間には「日本の福井(Fukui)!」と連呼されていたにも関わらず、私たち福井県民はそのシーンを素直に喜べなかったのです。

東京からの交通の便が福井なんかより新潟のほうが有利なのは分かります。
学校のシーンは閉校になった新潟の高校の校舎で撮影したとのことですから、それはそれで仕方ありません。
しかし、それ以外の風景はJETSの地元・福井の画であって良かったはずです。
当時の彼女たちが毎日歩いたであろう街の風景、足羽川の桜並木、寂れてはいるけれど福井駅前広場、等々。
東宝側がコストを理由にロケ地を新潟にするというなら、福井県や福井市は補助金を出してでも福井ロケを誘致するべきでした。

コシヒカリ魚沼産
余談ではありますが・・・。
福井県が品種開発した「コシヒカリ」という有名なお米があります。
しかし、福井県の売り込みが下手糞だったせいで全国的には新潟県魚沼産のものが良いとされ、現在では「コシヒカリ」は新潟県の米だと思っている人がほとんどになってしまいました。
それと同じことが映画『チア☆ダン』でも起こってしまったのです。
今後、映画の「聖地」として広瀬すずファンが訪れるのは福井ではなく新潟になってしました。
新幹線誘致に浮かれている施政者たちには、ハード面だけでなくこうしたソフト面でも地元のことを考えてもらいたいものです。

4/7(金)
映画鑑賞無し

4/8(土)
『ひるね姫 ~知らないワタシの物語~』🈠
(劇場:福井コロナシネマワールド)
ひるね姫~知らないワタシの物語~

テレビ版『攻殻機動隊S.A.C.』シリーズや『009 RE:CYBORG』の神山健治監督のオリジナル劇場用アニメです。
神山監督の作品は常に脚本がしっかりと練り上げられている印象があることから内心期待していました。

正直、一回観ただけでは内容を理解し切れていません。
主人公が見る夢の世界が彼女自身をモデルにしたものではなく、彼女の亡き母親をイメージしたものと分かったうえでもう一度鑑賞すると監督の意図が掴めるかも知れません。

内容の理解には程遠かったのですが、一つ映像面で面白いと感じた箇所がありました。
夢の世界において巨大ロボットが数体登場するのですが、その描き方とか構図の取り方が『エヴァンゲリオン』や『パシフィック・リム』そのもので巨大さの表現が見事だったのです。
月曜日に『キングコング 髑髏島の巨神』で巨大生物の見せ方にガッカリさせられた後だっただけに、思わぬところで溜飲を下げることができました(笑)。

4/9(日)
『メカゴジラの逆襲』
(ホームシアター:WOWOW録画)
1975 メカゴジラの逆襲

年明け以来続けてきた『ゴジラ』全作レビューですが、忙しさと『シン・ゴジラ』ブルーレイ発売に気を取られて前回の『ゴジラ対メカゴジラ』からずいぶん間が空いてしまいました。
今日は書きかけのままだったレビューを仕上げるべく、写真撮りしながら観返しておりました。
『メカゴジラの逆襲』レビューは近日中に上梓する予定です。


今週もお付き合いいただきありがとうございました。